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「俺も金髪にした。お揃いだな。これでもう、とやかく言われるのは君だけじゃないだろ」
言葉とともに、如月湊の手が頭に置かれた。ポンという音がしそうな、優しい置き方。
少しだけ頬を染めて、綺羅めくるは、自分より背の高い彼を見上げた。頭に置かれた彼の手が、温かい。
そこで、カットの声が入った。
ドラマの撮影現場。金髪のめくるはハーフで、海外から転校してきたという設定。綺麗な天然の金髪のせいで、いじめられていた。
めくるを守り、助けるのが、湊の役柄。キザに立ち回り、キザなセリフを吐く。それがまた様になる。アイドル歴が五年になり、周囲やファンから「王子」と呼ばれているのも、伊達ではない。
撮影現場は、学校の教室のようなセットにはなっていない。十メートル四方ほどの壇の上。背景は、編集時にCGで作ってゆく。
今日の撮影スケジュールが終わって、湊は壇上から降りた。そのまま振り向き、壇上から降りようとするめくるに、手を差し伸べてきた。
「めくるさん、段差、気を付けてね」
めくると湊は、恋人同士というわけではない。私生活で親しいこともない。何度か共演することはあったが、仕事上だけの仲だ。そんなめくるに対しても、彼はこんな態度で接してくる。
普段から王子というあだ名で呼ばれていて、王子様のような――少女漫画のヒーローのような役柄を演じることが多い湊。彼は、まだ役者として駆け出しだ。だが、当てられる役柄は、彼にピッタリだった。
めくるは、湊の手に自分の手を重ねた。そのまま、壇上から降りる。
「ありがとう、王子」
「いえいえ」
微笑む姿まで王子様っぽい。湊の、優しげな笑顔。ファンがこんな顔を向けられたら、感激して号泣するかも知れない。
壇上から降りると、めくるは、撮影スタッフや監督達に「今日もお疲れ様でした」と挨拶に回った。周囲との友好なコミュニケーションを欠かしてはいけない。
めくるは一時期、人気絶頂のアイドルだった。キャラを作り、ファンの支持を集めた。
しかし、そのキャラも飽きられた。一気に人気が低迷し、引退も考えた。
引退を考えたとき、それならいっそ素の自分で挑戦してみよう、と思った。アイドルではなく、ずっとやりたかった役者の仕事。事務所やマネージャーと相談し、様々なドラマや映画のオーディションを受けた。
ドラマのレギュラー役を勝ち取り、出演した。そこで、再ブレイクを果たした。今ではすっかり、アイドル時代の面影がない役者となっている。
周囲を見ると、湊が、共演者の蒼月しずくと談笑していた。
蒼月しずくは、現在三十九歳。ショートカットに大きな胸。彼女もある意味では、めくると似たような道を歩んでいた。路線を変更し、さらに売れるようになった女優。
昔のしずくは、清楚な役柄を演じることが多かった。大和撫子、という言葉がぴったりと当てはまるような役柄ばかり。
しかし彼女は、唐突に、それまで長かった髪の毛をバッサリと切り、強い女性を演じるようになった。母性と愛情に満ちた、大人の女性の役柄。
今のドラマでもそうだ。めくるをいじめる生徒を、見て見ぬ振りをする教師達。そんな教師達の中で、しずくだけは違う動きを見せる。めくるを守る湊と、共闘する場面もある。
談笑している、しずくと湊。
ドラマの中では、しずくの相棒とも言える湊。
普段は、王子様のような湊。
そんな湊は、しずくと会話している今、別の顔を見せていた。少しだけ頬を染めて、無邪気な子供のような顔をしている。
彼はまだ十八なので、子供のような笑顔を見せても不思議ではない。
でも、めくるの目から見て、今の湊の笑顔は、ただの無邪気な笑顔には見えなかった。
――もしかして、王子様の初恋、とか?
声に出さずに呟いて、めくるは、少しだけ微笑ましくなった。
めくる自身、昔は、本当の自分とはまるで違う自分を演じていた。アイドルとして売れるために。でも、飽きられ、限界がきて、素の自分に戻った。
素の自分に戻ったら、再ブレイクした。
もしかしたら、と思う。
もしかしたら、湊の王子様キャラも、必死に作っているものじゃないのだろうか。本当は、綺麗な年上の女性に恋愛感情を抱く、ごく平凡な少年なんじゃないか。
いつか湊にも、今の王子様キャラに限界を感じる時がくるかも知れない。そのときに彼は、どんな素を見せるのだろうか。それとも、素を見せることなくこの業界から去って行くのか。
周囲への挨拶を終えると、めくるは、待っていたマネージャーに駆け寄った。
ほのかな恋心を抱いているかもしれない、王子様を演じる湊。彼に、昔の自分を重ねながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
演じるのは疲れる。
もちろん、ドラマの撮影中にそんなことを思っているわけではない。
外見に適したキャラ作り。ファンの前で見せる笑顔。ファンの前だけではなく、周囲のスタッフや監督、他の俳優達がいる場所でも演じている。
爽やかで、少しキザで、スマートな王子様のキャラ。
そんなものは、本当の自分じゃない。
タワーマンションの高層階――二十二階。四LDKの部屋。この部屋の家主は、一人暮しだ。部屋は、きっぱりと余っている。
そのリビング。ソファーの上には、彼女がいる。
彼女と言っても、恋人ではない。
湊は、ソファーの前で跪いていた。両手は、彼女のふくらはぎに添えている。
舌を出した。
目の前には、彼女の足。
彼女の足に顔を近付け、可能な限り舌の伸ばす。舌の先には、彼女の左足の、親指と人差し指。そこに、舌を触れさせた。湿った舌を、ゆっくりと、彼女の足に這わせてゆく。ストッキングを脱いだ、彼女の足。
「しずく、さん」
舌を伸ばしながら、彼女の名を呼んだ。甘えるように。縋るように。
「今日も、可愛がって、ください」
上目遣いで、ソファーの上の彼女を見た。しずく。湊より二十一も年上の彼女。下から見上げると、大きな胸で顔が少し隠れている。
世間で認識されている湊は、女の子が憧れる王子様。甘いルックスに、少しキザな態度と言い回し。その姿に、ファンの子達が黄色い声を上げる。
そんな役作りに、湊は疲れていた。
本当の湊は、甘ったれだ。自分でもそれを自覚している。幼い頃は、母親にくっついて離れなかった。いつでも母親の温もりを求めていた。
芸能界に入ったのは、中学一年のとき。姉が、芸能事務所に湊の履歴書を送ったのがきっかけだった。
瞬く間に売れた。一気に人気が出た。
家に帰ることが少なくなり、母親に甘える時間がなくなった。いつの間にか時間が経ち、体も大きくなり、母親に甘えるような歳ではなくなってしまった。もう長いこと母親に甘えていないので、今さら甘えるのが恥ずかしくもあった。
それでも湊は、甘えたかった。抱きつき、頬をすり寄せたかった。
一ヶ月ほど前。
今回のドラマの撮影現場で。
休憩中に、湊は、スタジオの外に出た。建物の影でしゃがみ、蹲り、大きく溜め息をついた。胸の奥が重くて、苦しくて、この気持ちを誰かにぶつけたかった。
芸能界に入って五年。学校と仕事で忙し過ぎて、家でのんびりする時間なんてない。母親の温もりを求める余裕も、もちろんなかった。存分に甘えられる時間を捨てて、仕事をしていた。
十三歳から十八歳という、五年間。まだ十代の湊にとっては、長い、長い時間だ。そんな長い間、自分の欲求を抑え続けてきた。
もう限界だった。ストレスで、どうにかなりそうだった。
「王子、どうしたの?」
蹲る湊に声を掛けてきたのは、しずくだった。母性豊かな愛情を感じさせる彼女。湊はしゃがんでいるから、しずくを見上げる体勢になっている。
昔、湊が、母親に甘えていたときの視線。
『お母さん』
母親を呼んで、抱きついていた。抱きつきながら、彼女を見上げていた。
「……さん」
小声で呟いて、湊は、思わずしずくに抱きついた。自分は、王子様なんかじゃない。ただの甘ったれだ。十八にもなって、年上の女性の愛情に飢えている。
「どうしたの、王子」
少し驚いた様子で、しずくが聞いてきた。
「少しだけ、こうさせて下さい」
抱きついたまま、湊は、しずくに懇願した。
これが、湊としずくの関係の始り。
湊はすぐに、しずくの家に出入するようになった。
最初は、母性に満ちたしずくに、自分の本心を吐露していた。優しい彼女に、慰められていた。
ただひとつ、湊が勘違いしていたのは。
しずくは決して、母性溢れる人ではなかった。
「いい子ね、湊」
しずくの足を舐めていると、彼女が褒めてくれた。
「もっと丁寧に舐めて。そうしたら、ご褒美あげる」
艶めかしい、しずくの声。
彼女の声が耳に届いて、脳に響いて、湊の体に鳥肌が立った。甘美と興奮の鳥肌。気持ちが高揚して、湊は、しずくの足の親指に吸い付いた。
「しずくさん、お願いします」
息を切らしながら、湊はしずくを見上げた。
彼女は、世間で認知されているような人物ではない。彼女の愛情は、母性ではない。
「いいよ。ご褒美あげる」
しずくは両手を広げた。妖艶な視線に、湊の心は溶けそうだった。
「おいで」
「はい」
しずくの指から口を離し、湊は、彼女に抱きついた。胸に顔を埋め、顔を動かして頬擦りした。
「しずくさん、しずくさん」
名前を呼ぶたびに、しずくは、湊の頭を撫でてくれた。
「うん。いい子だね」
湊としずくは、肉体関係があるわけではない。そんなありふれた関係ではない。
しずくの愛情が、母性でなくてもいい。こうして甘えられれば。この胸に、顔を埋めていられれば。
こうして英気を養えば、また明日からも、王子様でいられる。素の自分とはかけ離れたキャラクター。女の子が憧れる人物像。
演じるのは、ドラマの中だけじゃない。外にいる間は、いつも何かを演じている。
今はもう、それでいい。母親とは違う温もりを見つけたから。羽を休める場所があるから。
「いい子ね、湊」
外にいるときとは違う声で、しずくが呟いた。
彼女の声が、湊に、これ以上ない安らぎと興奮を与えていた。
(終り)
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