2.狼だなんて、そんないいものじゃない

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2.狼だなんて、そんないいものじゃない

 マクレーン辺境伯。  その家名に、なにかひっかかる。 (どこかで聞いたわ)  はっと思い出す。あのがなり声の男が指定した先だ。だけど顔には出さないように、淑女の淡い微笑を浮かべて腰を落とした。 「はじめてお目にかかります。ハロウズ伯爵家長女アンバーと申します」  アンバーの淑女の礼こそ遮らなかったけれど、マクレーン辺境伯の薄い青の瞳は明らかに苛立っていた。おまえの素性などどうでもいいと、いわんばかりだ。その表情のまま、それでも口調だけは丁寧に彼は聞いた。 「申し訳ないが急いでいる。貴女が今日受け付けた通信に、我が家あてのものがあったはずだ。憶えておいでか?」 「申し訳ございません。お答えいたしかねます」 「な……んだと!」  あ、口調も崩れた。  顔には出さないが、アンバーは内心で苦笑していた。 (女のくせに生意気なって? 本心がバレバレよ)  アンバーはこういう男が大っ嫌いだ。けど答えられないと言ったのは嫌いだからじゃない。本当に答えられないのだ。  交換手は、他人の通信を取り次ぐ。仕事上知りえたことの一切を、よそに漏らしてはならない。アンバーたち交換手は、そのように厳しく教育されている。だからマクレーン辺境伯の言う通信が、あったかなかったか、それさえ答えることはできないのだ。  目を細めてぎりっとにらみつけてくる辺境伯の薄い青の瞳を、アンバーは正面から受け止めた。  なにも間違ったことは言っていない。自信と誇りがある。  緊迫した空気を、通信大臣の笑い声が和ませた。 「ハロウズ伯爵令嬢、模範的なお答えです。優秀だと耳にしていましたが、評判どおりですね」  ヘルムグラード閣下は爵位こそ子爵と高位ではないけれど、官吏としてのキャリアとその実務能力を買われて四十歳前で大臣に任命された方だ。温厚そうな笑顔は人懐っこくて憎めない。年長の殿方にむかって失礼ではあるけれど、かわいらしい印象だ。 「おそれいります、閣下」 「辺境伯のお尋ねの件については、騎士団長と私の権限で許可します。どうか答えてくれませんか。仔細は明かせませんが、きわめて重大な犯罪がからんでいます」    騎士団長と通信大臣の署名入りの許可証を差し出されて、それならばとアンバーも頷いた。  犯罪捜査については騎士団の管轄だし、アンバーの最上位の上司が「そうしろ」と協力命令を出しているのだから。 「今日の午前中でした。たしか正午より少し前、正確な時間は対応履歴を見ないとわかりませんが、たしかにマクレーン辺境伯のお屋敷への通信を受け付けました」 「そんなことはわかっている。なんでもいいからその先を。憶えていること全部話せ!」  ぐいと距離をつめたマクレーン辺境伯は鬼気迫る勢いというか、むしろ脅しているようで。   (なに、この赤犬オトコ)  ちょっとでも美青年だと見惚れたことが悔しい。こんな嫌な男、野良の赤犬呼びで十分だと思う。  だから淑女としては正しくないのは承知の上で、あえてあからさまに眉を顰めてみせた。 「これは尋問ですの?」  冷えた口調を意識した。アンバーは業務上の記憶を提供しているだけ、捜査の協力者だ。犯罪者ではない。なのに辺境伯だかなんだか知らないけど、野良の赤犬オトコの分際で「憶えていること全部話せ」と命令してくる。冗談ではない。こんなエラソーにされるおぼえはない。 (もしかしてこの男、働いてる女はワケアリだとか思って侮ってる?)  男尊女卑のプレイリー王国では珍しくない考えで、裏でこそこそ悪口を言われるのは当たり前。それどころか面と向かって「女だてらにしゃしゃり出て」とか「嫁に行けない事情でもあるのか」とか、侮辱されたことさえある。  交換手の試験がどんなに難しいか。試しに受けてみろと言ってやりたい。わかりもしないでエラソーにされるとか上から目線とか、とにかくこれらはアンバーの地雷だ。とても平静ではいられない。 (対応履歴にあるだけのことしか記憶にありません。そう言ってやろうかしら)  対応履歴には発信元と接続希望先しか投入していないはずだ。特記事項欄があるにはあるが、よほど明らかなクレームでない限り投入しないのが普通のことだ。今朝のあの怪しげな取次は、一応クレームではない。クレームにならないように、アンバーが立ちまわったからなのだが……。結果、特記事項欄は空欄だった。だからなんの情報も読み取れないはずだ。  アンバーの緑の瞳が意地悪く光るのを、王太子妃殿下はすぐにお気づきになったらしい。 「マクレーン辺境伯、ハロウズ伯爵令嬢はわたくしの大切なお友達ですよ?」  相変わらず優雅な微笑をたたえたまま、でも青い瞳には冷気があった。さすが王太子妃殿下だ。微笑だけで赤犬オトコを抑えてしまった。  ふぅ……と息をひとつついてから、赤犬オトコは表情をあらためる。右腕を抱え込むようにしてアンバーに腰を折って見せた。   「大変な失礼を。身内が誘拐されたのです。ですからつい無礼なもの言いを。ハロウズ伯爵令嬢、お許しいただきたい」  誘拐?  それなら慌てふためくのも納得できる。けれど同時に不思議だった。 (身内って、家族ってこと? それなら貴族よね)  貴族同士なら互いに魔力があるはずで、わざわざ電話の通信記録なんか調べなくとも、個人通信ができるのでは? そうすれば攫われた人がどこにいるか、すぐにわかるだろうに。 「念話をお使いにはならないのでしょうか?」 「彼女は平民だ」  即座に辺境伯は答えた。堂々と、はっきりした口調で。 (ふぅん……)  エラソーな赤犬オトコだと思っていたけれど、平民女性を身内と呼んではばからないなんて。ちょっとだけ見直した。  辺境伯といえばかなり高位の貴族だ。その階層の人々が、貴族以外を身内と呼ぶ場面など見たことがない。せいぜい「我が家の使用人」と呼ぶくらい。  協力してもいいかと、初めて思った。 「わかりました」  案外いい人なのかもと、気持ちが柔らかくなっていつのまにか笑っていた。そうしたら彼、辺境伯が固まった。薄い青の目を見開いて、アンバーを見つめている。 (え? わかったと言っただけなのだけれど)  驚かせるようなことも、上位の貴族への不敬発言もなかったはずだ。彼が固まる理由がわからない。とりあえずアンバーは続けた。 「憶えていることをお話しします」  それから一時間くらいかけて、アンバーは憶えている限りのこと、その時の印象や感じたことまですべて話し続けた。  終わった後のこと。  マクレーン辺境伯はアンバーの右手をとった。その甲に唇を落とす。 「ありがとう」  薄い青の瞳が、優しく微笑んでいた。
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