第一章 1.伯爵令嬢が働いちゃダメですか?

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第一章 1.伯爵令嬢が働いちゃダメですか?

「マクレーン辺境伯家へ繋げ!」  左耳にあてた受話器から飛び込んだ声に、アンバー・ケイシー・ハロウズは内心で「またか」と思った。交換台に飛び込む通話申込のうち、毎日何本かはこんな風に感じの悪いものがある。   「辺境伯領、王都、どちらのお屋敷にお繋ぎしますか?」  長距離と王都内とでは、接続する端子が違う。右手に接続プラグの柄を持って、彼女の正面にずらりと並ぶ接続端子からマクレーン辺境伯の王都屋敷に繋がるものを探した。辺境伯領の屋敷なら長距離なのでマクレーン領の交換台につなぐだけで良い。接続端子を探す必要はないのだ。  交換手としては当然の質問を、できるだけ冷静にしたつもりだ。  それなのに男は、さらにヒートアップしたがなり声をあげた。受話器が震えそうなくらいの大声、かなり煩い。   「さっさと繋げ! 辺境伯がいる屋敷にだ!」 (変だわ……)  電話の交換手を長く勤めていれば、受話器から漏れる声だけでなんとなく相手の状況や素性がわかる。そのアンバーのカンが、異常を告げた。  もしこの男がマクレーン辺境伯家と親しい関係なら、当主の所在くらい知っているはずだ。少なくとも当主がどこにいるのかを聞く相手くらいはいるはずで、電話の交換手に「辺境伯が現在いる屋敷につなげ」などと無茶苦茶なことを言うはずない。 (厄介なヤツだわ)  親身になって真面目に対応していたら、きっと面倒なことになる。 「王都のお屋敷におつなぎいたします」  長距離と王都内通話では、かかる料金がかなり違う。当然ながら王都内通信の方が安い。とりあえず王都の屋敷につないでおけば、後は辺境伯家とこの男との間の問題だ。  厄介ごとには関わらないに限る。  素早く接続端子を選んで繋ぐ。その後アンバーは、その通話からさっさと離脱した。接続回線をつなげば、アンバーは通話内容とは関係ない。この通話接続の対応業務は終了で、対応履歴を作成すれば完了だった。  そろそろ社交シーズンが近いせいか、その日は特別に忙しかった。次々に入ってくる電話接続の呼び出しランプに追われて、アンバーはそのおかしな電話のことをいつか気にしなくなっていった。  アンバーの現在の職は、通信省所属の電話交換手だ。  ここプレイリー王国では、貴族だけが魔力を持っている。貴族たちはその魔力で離れた場所にいる誰かと通信できるのだけれど、平民にその方法は無理だ。だから平民は手紙を使い、リアルタイムの通信をあきらめていた。  だが電気を使った通信の登場で事情が変わる。通称、電話と呼ばれている。10年くらい前、経済省と通信省、それに民間の大きな商会が協力して実用化にこぎつけた新技術だ。新技術、新製品の常で、電話の端末器はまだまだとても高価なものだった。持てるのは王宮をはじめとする国の施設、貴族の屋敷、民間であれば大きな商会やかなり豊かな平民の家くらい。限られた人のみが利用できる贅沢品だ。けれど誰でもリアルタイムに話ができるので、電話の端末器はここ数年の間、ぜひ欲しい贅沢品ナンバーワンの座を譲らないでいる。  使い方はいたって簡単だ。受話器をあげると交換手が出る。送話マイクに向かって、通信したい相手の名前を告げるだけ。後は交換手が相手の家を探し出し、そこへ回線をつないでくれる。  けれどもここで問題がひとつ。しつこいようだが電話は贅沢品だ。そうなると利用者は勢いそれなりの身分の人々で、その対応をする交換手にもそれなりの教養が求められる。特に官公庁や病院をはじめとする国の施設、民間の商会へは他国からの通信も入るので、交換手には最低ふたつの外国語、それも俗語ではなく美しい言葉で話す力が必要とされた。さらに個々の通信は、国家や民間商会のかなり高度な秘密を含む場合もあるので、秘密保持の観点から身元のしっかりした働き手が必要だった。そこで通信省は年に一度、厳しい選考試験によって交換手を採用している。  当初は貴族の男性が交換手を務めたこともあったらしいけど、「なんで魔力のない平民のためにオレが。ばかばかしい」とずいぶんエラソーな対応だったようで、利用者からは「高い料金を払っているのになんでこっちが遠慮しなくちゃいけないのか」と大不評だったとか。そこで利用者が離れるのを怖れた通信省は、募集対象を男女問わずに変更した。すると応募者は貴族の子女や未亡人、平民であればかなりのブルジョワ階級の女性がほとんどになった。ごくまれに平民男性がちらほらというところ。給与体系は王宮勤務の貴族官吏とほぼ同じだ。つまり交換手は女性の、数少ないエリート職のひとつなのだ。    アンバーもいちおう、ハロウズ伯爵家の令嬢だ。いちおう、というのは胸を張って「まっとうな高位貴族令嬢です」と名乗るには後ろめたいからなのだけど……。まあそれでもともかく、高位貴族の令嬢の端くれであることには間違いない。  プレイリー王国の貴族令嬢のほとんどは、十六歳からどんなに遅くとも二十二歳の間に結婚する。準男爵や男爵、それに子爵くらいの階級であれば、貴族学院中等科を卒業してすぐ嫁ぐのが普通。高位貴族の令嬢ともなれば、貴族学院の高等科へ進学する令嬢も珍しくないし、高等教育を受けている令嬢という付加価値もつくので、嫁ぐ年齢が上がっても生家は進んで高等科への進学を後押しする。それでもゴールが結婚であることは同じで、高等科を卒業すればいずれ家格の釣り合う相手に嫁入りするのが一般的なのだ。そんな中、アンバーのように就職する令嬢はかなり珍しい。その珍しいことをするにはそれだけの理由(わけ)があるのだけど、まあそれはおいておくとして。  交換手の仕事は、アンバーにとって、とてもやりがいのあるものだった。   「この間も取り次いでくれた女性(ひと)だよね?」  そこそこ高度な教養を求められる交換手の数は当然だけれど少なくて、聞き覚えのある声に反応した利用者が、接続希望先を告げた後で声をかけてくれることもある。 「いつもありがとう」  あなたのおかげで遠く離れて暮らす両親と話ができるとか、商売がうまくいったとか。  たまにかけてもらうその声で、自分が誰かの役に立っていると思えた。自分を誇らしく思える瞬間で、そんな言葉をかけてもらった日は一日中幸せな気分になれる。男尊女卑の気風の強いプレイリー王国で、こんな気分を味わえるなんてめったにないことだ。  だけれども張りつめて過ごした一日の終わりに、どっと疲れが出るのもまた事実だ。  あのあやしい通信を取り次いだその日も、目の回るような一日を終えて、アンバーは控室で身だしなみを確認していた。  勤務中の服装規定は、「華美でなければ良し」というとてもアバウトなものだ。だけどアンバーの場合、同僚たちのような美しいドレスなど持っていないので、華美になる心配は最初からない。鏡に映った姿は、仕事終わりの疲労もあって、どんより沈んで見えた。  今朝自分で結い上げた髪は、繰り返し受話器をあてたせいで特に左側が乱れている。簡単に結い上げただけなので、一度ほどいて結い直すのがいつものことだ。  はらりとこぼれた栗色の髪が、腰のあたりまで届く。  細く癖のない髪はさらさらで、たとえば金色とか銀色とか、そんな派手な色だったらもう少し見栄えもしたのだろうなと思う。深い緑の瞳はまあ悪くないとは思うけど、一重の切れ長の目はいけない。愛想のない、きつそうな印象に見える。 (交換手なんだから、容姿は関係ないわ)  自分に言い聞かせる言葉も、毎日同じ。嘆いたところで、美人になるわけじゃない。さっさと髪を直して帰ろうと、ヘアピンを唇にくわえたところで。 「アンバー、お仕事は終わったかしら?」  透き通るような美しい声が、直接アンバーの耳の奥に響いた。魔力による個人通信だ。「念話」と貴族たちは呼んでいる。 「はい。つい先ほど」 「疲れているところ悪いのだけれど、こちらへ来られるかしら?」  この方に呼ばれて断れる人なんていない。だって王太子妃殿下ヴァスキア様だ。 「承知いたしました」  すぐにそう答えたのは、アンバーが妃殿下を好きだからだ。妃殿下は高等科の同級生で、おそれおおいことながらアンバーの唯一の女友達でもある。こうして仕事終わりにお呼びがかかることも、珍しくない。だからアンバーのロッカーには、ヴァスキア様用のドレスが一着、ハンガーに吊るされている。  王宮に伺うのだ。いつも着ているよれよれのドレスでは、妃殿下に失礼だ。ロッカーに置いてあるドレスは高価なものではないけれど、今シーズンになって買ったモノだ。妃殿下のもとへ伺う時以外着ないから、袖口も襟もぴんと張りがあってこざっぱりしている。モスグリーンの無難な型のものだけど。  疲れた顔は少しのチークパウダーとコーラルのリップグロスでごまかした。  けっして美人とは言えないけど、少しはマシ。見られる姿になったことを鏡で確認してから、アンバーは馬車で王宮へ向かった。 「アンバー、お疲れさま」  王太子宮のヴァスキア様のお部屋をお訪ねすると、いろとりどりのお菓子が用意されていて、そのテーブルの向こうから軽やかな足取りで妃殿下がこちらへおいでになる。  王太子妃殿下らしからぬご様子だけど、妃殿下づきの侍女も温かい目で見ているようだ。 「アンバーはわたくしの特別なお友達なのよ。お友達同士にうるさい礼儀作法は必要なくてよ?」  いつもそうおっしゃるヴァスキア様は、まばゆい金色の髪に濃い青の瞳にやわらかい曲線を描く肢体の、完璧な美人だ。元はノルディン侯爵家の令嬢で、幼い頃から国いちばんの美少女と評判だった。貴族学院の成績は常に三位以内、ご生家は建国以来の名門。二年前、貴族学院卒業と同時に嫁がれて、王太子殿下とは仲睦まじくお過ごしだという。  その完璧な王太子妃殿下が、学院時代になぜかアンバーをお気に召してくださったのだ。おそれおおいと言う他はない。 「妃殿下にはご機嫌うるわしく……」  妃殿下がいくら「特別なお友達」とおっしゃっても、アンバーが礼を守らなくてもいいわけじゃない。片足を斜めに引いて、深く腰を落とす。妃殿下が手をとってくださって、その後姿勢を元に戻した。 「疲れているところ本当にごめんなさいね。どうしても貴女に会ってもらいたい人がいるの」  思いやりのあるお言葉はいつもどおりだったけど、誰かに会わせたいなどとおっしゃるのは初めてのことだ。 「妃殿下、おいでになりました」  扉の外から護衛騎士が声をかけてくる。こういう時、「●●伯、おいでになりました」などと、爵位や地位と名を告げるのが普通だ。告げないということは、なにか事情があるんだろう。緊張して唇を引き結んだアンバーの腕に、妃殿下の優しい指がかかった。大丈夫だからとでも言うように、綺麗な微笑をむけてくださる。 「お入りなさい」  妃殿下がお応えになると、男性が二人、慎み深く静かに入ってきて、深々と頭を下げた。  一人はアンバーもよく知った顔だ。四十歳くらいの中肉中背、くすんだ灰色の髪と同じ色の瞳の紳士、アンバーのはるか上、雲の上のようなところに位置するが一応上司にはなるのだろう。通信省大臣のヘルムグラート子爵だ。  もう一人の若い男性は、知らない。燃えるように真っ赤な髪は短く切りそろえてあって、目尻にかけてやや吊りぎみの目の色は薄い青。かなりの長身で、黒の長い上着がよく似合っている。  やわやわと優しい印象の貴公子が多い社交界では見ることのない、野性的な美青年だ。赤い毛色の狼のようだ。 (騎士団の方かしら?)  自分の結婚は理由(わけ)あって早々に諦めモードのアンバーも、つい目で追ってしまっていた。  薄い青の瞳が、アンバーに向けられる。 「私はユーイン・フェザード・マクレーン。マクレーン辺境伯の当主だ。失礼ながらハロウズ伯爵令嬢、貴女に伺いたいことがあり無理をお願いした」  ほどよく低いテノールの声が、アンバーの耳に心地よく響いた。
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