ライバル

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「私に近寄るたいていの人は、就職の口利きを頼んでくるの。うんざりよ。私のこと、なんだと思っているのかしら」  ソーサーにもどしたカップが、思いのほか大きな音をたてた。 「遠慮がちにしゃべり始める人は、まだマシ。中には、チェスが好きなふりをして、私に取り入ろうとする人までいるのよ。もう、信じられない」  吐き捨てるような語気にもかかわらず、由紀子さんはポーカーフェイスを守っている。感情の在り処は、声の質を頼りにさぐるほかなかった。  つい先ほどまでとがっていた声が、ふっとやわらいだ。 「それなのに、麻美さんは私と対戦するだけ」  それは、わたしが内向的なうえ、対局中もそのあとも、笑みを見せない由紀子さんがすこし怖かったから。  チェス盤があいだにない今は、どこに目を向ければいいのか困ってしまう。わたしから話を持ち掛けたくせに、まだひと言も発せずにいる。  由紀子さんはコーヒーをひと口飲み、声をしぼった。 「それにしても、一億円が当たっただなんて、すごいわね。さすが女王」  さすがなのは由紀子さんだ。  わたしが宝くじで大当たりを出したと知っても、うらやましそうな顔をまったくしない。  クイーン杯で、わたしが手にしたプラスチックのささやかなカップを見ているときのほうが、もっと表情に色があった。 「由紀子さん。とんでもない大金を持つって、どういうことなのかを知りたいの。宝くじに当たって破滅した話をよく聞くから、怖くって」 「もう換金したの?」 「銀行の口座に入金されているわ」 「だれかに言った?」 「由紀子さんが初めて」 「黙っていて正解よ。顔も知らなかった人が、わらわらと寄ってくるわ。おごってくれ、お金を貸してくれって」  想像しただけでも面倒だ。  でも、由紀子さんにとっては、それが日常。さらには、就職の件でも人がすり寄ってくるなんて、腹が立って当然だ。  由紀子さんの目が、わたしをスキャンするように動いている。首のまわりや手、すこし頭を傾けて足もとをのぞき込む。  居心地の悪さに、知らず知らずのうちにうつむいてしまった。 「ネックレスはなし。よれたフリースにキャラクターものの腕時計。指輪はイミテーションの色石で、履き古しのスニーカー。もしかして、まだ一円も使ってないの?」 「せっかくのお金だから、大切に使いたくって」
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