あと一回

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 目を覚ますと、枕元に死神が立っていた。それは、見るからに死神だった。黒いマントみたいな服に、顔がすっぽり隠れるくらいのフード、それになんといっても大きな鎌を担いでいた。  私はベッドから起き上がろうとするも、金縛りにあったみたいに体は硬直し動かない。私は逃げようと必死にもがくも、指先を微かに動かすのがやっとだった。助けを呼ぼうとしても、喉も詰まり声が(かす)れる。  「無理をするな。もうお前の体の自由は奪われている」と死神は言った。  私は頭の中で、『やめろ、どっか行け』と叫んでいた。    死神は「ダメだね。次はお前の番だ」と、まるで役人が行う事務手続きのように淡々と喋った。  私は死神と意思疎通できたことに驚いた。私の口からは声が出ていないので。  「お前の言いたいことは分かる。俺様の耳は、内なる声まで聞こえる地獄耳なのだ」と死神はニヒルに笑う。  私は、私の思考が死神に伝わるのが分かったので懇願した。『頼む、助けてくれ。私はまだ死にたくない』  「それは無理な相談だ。お前が今日死ぬことは、()うの昔から決まっていたことだ」    『決まっていた?』  「そうだ、これは生まれた時からの(さだ)めなのだ。俺様にも、その(さだ)めは変えられない。だから受け入れろ。俺様はただ、お前を呼びに来たに過ぎない」    私は唖然とした。今日で死ぬことが(さだ)めだったとは。私は自分の人生を振り返る。私の人生は無味無臭の人生だった。振り返るに値しないほど、何事もなく、そして何もしなかった。  私はこれといった趣味もなく、友達と呼べる者もいなかった。酒も飲まず、ギャンブルもせず、女遊びなんてする勇気もなかった。自宅と仕事場を往復する毎日で、変わり映えのない日々。それだけで人生が過ぎてしまった。  もし、今日、死ぬことが分かっていたのなら、違った選択肢を選んでいたのではないかと思わずにはいられない。  死神は私のほうを見て、「じゃあ、そろそろ最後の五感の晩餐でもやろうかね」と言ってきた。  『何だ、その最後の五感の晩餐とは?』  「これからお前は、死ぬまでの間、五感が一つずつ失われていく」  『なぜ、そんなことをするのだ』。私は恐怖を感じた。  「これは罰ではない。救済だ。五感が消失すれば、痛みや苦しさも消えてゆく。すなわち、これは(せい)の辛さからの解放なのだ」  『徐々に死んでいくということなのか』と私は嘆いた    「そんなに悲観的になることはない。これは晩餐なのだよ。言うなれば、ご馳走だ。五感の一つが失われる代わりに、その失われる五感の記憶が呼び起こされる。まあ、人生の最後にあと一回だけ、最高な五感が味わえるわけだよ」  『言っていることが分からんぞ』  死神は、やれやれ、と煩わしいという顔をした。「例えば、触覚。触覚から味わえる記憶は、人との繋がりだ。触覚という五感の一つを失う代わりに、お前の人生の中で、人との繋がりにまつわる思い出を最後に一つだけ味あわせてやろうって言ってるんだよ」    私は死神の話を聞いても、それの何が晩餐なのか分からなかった。私は、それほど人との接触が希薄だったのだ。    死神は付け加えて言った。「死ぬ間際には走馬灯を見ると言うだろう。そういうものだ」と。そして「やってみれば分かることだ」と言い捨てる。そして、「まずは触覚からだ、最後の触覚の晩餐」と誰かに命ずるように大きな鎌の()を床にゴンっと打ち付けた。  私は身動き取れないのだが、皮膚の細胞から記憶が蘇って来た。    汗ばむ肌から彼女の温度が伝わってきた。繊細なのに柔らかく、きめ細やかで滑らか。私は彼女を傷つかないように、ゆっくりと抱きしめた。  自分の肌から蘇る記憶は、セックスの記憶だった。  私はモテるほうではなかったし、自分からガツガツと女性を口説けるタイプでもなかった。そんな私だから、社会人になっても童貞のままだった。私が童貞を卒業したのは風俗店だった。私が童貞だと知った会社の同僚が、無理やり私を連れて行ったのだ。そこで童貞を卒業したのだけど、性行為を終えた私の感想は、こんなものか、という簡易なものだった。確かに、気持ちは良かったが、マスターベーションで射精するのと変わりが無いように思えたからだ。  それから私は、恋愛も性行為もすることなく、40歳手前まで過ぎてしまった。私がいつまでも男一人でいるのを呆れて見ていた職場のおばさんが、お見合いを組んでくれた。そこに来てくれた相手が、今の妻である。  お見合いをし、断る理由もなかったので一年ほどお付き合いをした。付き合っている間、私は彼女に手を出さなかったし、誘う勇気もなかった。それでも、お付き合いが続いたので結婚することになった。  そして今、思い出している記憶は、妻との初夜の出来事だった。  肌と肌が密着し、私が妻を抱きしめると、妻も私を抱きしめてくれた。私はセックスというものを勘違いしていた。マスターベーションで射精するのと同じだと思い込んでいた。そんなことはないと、この時に気が付いた。妻は私の全を包み、丸ごと受け入れてくれた。  私は妻との初夜の出来事を思い出した代わりに、触覚の感覚が失われた。  触覚の感覚が失われると、体の重みが消え、浮遊感に見舞われた。心地良さを感じる一方、私は、段々死に近づいていると、はっきり理解した。だけど今は恐怖心は、さほど無かった。最後の五感の晩餐に熱望しだしているのだろうか?  「次は嗅覚だ」と死神が言った。  私は匂いにまつわる記憶を探る。私は匂いに敏感でもなければ、拒否反応も特にない。女性の中には、その人の匂いで好き嫌いを決めることもあるらしい。  死神は話を続ける。「嗅覚と言っても、この嗅覚の記憶は匂いだけに留まらない。勝負の嗅覚、とも言うだろう。嗅覚の記憶には、お前が挑戦したことも混じっている」  私は何かに挑戦したことが無い。何かに直向(ひたむ)きに打ち込んだことも、勝負して悔し涙を流した経験すらない。それらを避けてきたばっかりに、人生の終わりを迎え、達成感や充実感というものを欲する気持ちが、今になって溢れている。  「最後の嗅覚の晩餐」と死神は言い、大きな鎌の()を床にゴンっと打ち付けた。  鼻腔から、ほのかな甘い匂いと共に記憶が蘇る。  甘い匂いの正体は、赤ん坊だった。赤ん坊は、私の腕の中でぐっすり眠っていた。赤ん坊は、額に汗をかき、蒸れた頭髪からは甘い匂いを漂わしていた。この赤ん坊は、息子だった。息子が小さかった頃の記憶が私の脳裏に蘇ってきた。  先ほど触覚は消失したのだけど、脳裏の中では息子の重みをずしりと腕に感じる。重みだけでなく、体温も。息子を抱いているとき、いつも茹で上がってるんじゃないかと心配になるくらい息子は熱くなった。だが、その熱さから生命の息吹きを感じざるを得なかった。  その生命の息吹きそのものが、私に身を委ねている。100%信頼し、安心しきった寝顔を見ると、私はこの世に必要とされている、自分の存在を認めて貰えていると実感できた。  生命の息吹きは、私に幸福感と活力を注入してくれていた。  私は息子との思い出の代わりに、嗅覚の感覚が失われた。  周りの匂いも感じなかったが、それと同時に息苦しさも無くなった。鼻に空気が自然と取り込まれているみたで、気分がリラックスしていくのが分かった。  死神が言っていた、(せい)の辛さからの解放、という言葉に納得する。  「次は味覚だ」と死神が言った。  私は味覚の記憶を探った。私は子供の頃も、大人になってからも、外食というものをほぼしてこなかった。高級なもの食べたことないし、珍しい食材も食べたことがない。私が食べてきたものは、一般の家庭料理だけだった。深く記憶に残るような特別な味なんて経験してこなかった。食事一つをとっても、私は新たなものを試すのを嫌っていたのだ。食わず嫌いも(はなは)だしい人生だ。  「味覚だから、これが本当の最後の晩餐だ」と死神は言い、大きな鎌の()を床にゴンっと打ち付けた。  味覚の記憶のはずなのに、口の中には何もない。それよりも、空腹と惨めな気持ちが入り混じった記憶が蘇って来た。  この記憶は、私が子供の頃の記憶だ。  私の父は、厳格な人だった。しかも、当時から見ても、かなり古い考えや価値観を持っていた。だから今では考えられないかもしれないが、私が悪さをすれば鉄拳制裁は当たり前だったし、晩飯抜きも日常茶飯事であった。この場合の日本語は、日常無飯事と言うべきなのか?  イタズラや悪さをして怒られたのなら諦めがつくが、ときには成績が悪かったという理由で怒られることもあった。そのときの晩飯抜きは、空腹感がより惨めな感情を増幅させた。  そんなとき、いつも母が私に握り飯を食わせてくれた。父が風呂に入っている間、私を台所まで連れて行った。私が泣いて落ち込んでいるのを横目に、せっせと握り飯を握ってくれた。「もう泣くのは止めて、さっさと食べなさい。早く食べないとお父さんに見つかっちゃうわよ」と私を慰めてくれた。    次第に、私の口の中に、あのときの塩むすびの味が広がった。母の優しさが伝わる味がした。母はどんな私も許してくれた。いたずらをしても、成績が悪くても、いつも私を許してくれた。  私は母の思い出を十分に味わった。  味覚が無くなったのかは、はっきりと分からない。なぜなら今、口の中には何も食べ物が入っていないのだから。ただ、口の乾きは感じなくなっていた。口の粘膜が張り付くような苦しさから解放された。  「次は視覚だ」と死神は言った。  私は視覚の記憶を探った。自宅と仕事場を往復する毎日だった私に、綺麗な景色の思い出なんてあるのだろうか?私は考えても分からなかった。でも安心していた。今までの五感は良い思い出だったので、今回の視覚も綺麗な景色を見させてくれるに違いないと思っていた。  「最後の視覚の晩餐が終わると暗闇の覆われるが、準備は出来ているのか?」と死神が訊いてきた。  私は怖くは無かった。五感が一つ一つ失われるたびに体が楽になった。いや、楽になるどころか気持ち良さを感じてる。まるで瞬時に熟睡できたときのような心地よさだ。そうだ、視界が失われることは、目を(つむ)っているのと同じだ。寝ることと大して違いはない。  私は、死神の問いに頷いた。  「最後の視覚の晩餐」と死神は言い、大きな鎌の()を床にゴンっと打ち付けた。  目の前に広がった光景は、私が見たくないものだった。私が忌み嫌ってきた父の姿が飛び込んできた。それも若かりし父の姿。面影がありありと現れていたので、見間違えようのない父親本人だった。  そして私はというと、手は紅葉のように、体はお人形さんのように小さくなっていた。私は赤子になっていた。寝返りも自分では出来ないほどの赤ん坊で、私は今、物心がついてないほどの記憶を見ていることになる。  私と父との関係は最悪だった。子供の頃はただ服従するしか方法がなかったが、私も成長し力が付けば、反抗するようになった。次第に口も利かなくなり、大人になるころには顔を合わせることすら避けていた。それは父が亡くなるまで続いた。  私が結婚し息子が生まれても、実家にはめったに顔を出さなかった。父と息子を会わせたくなかった。もし息子が、私と同じ目に合わされるのが嫌だったから。私は父を反面教師にしていた。その代わり母だけは我が家に呼んでいた。  私が最後に父の顔をしっかり見たのは、父の葬式のときだった。久しぶりに見る父の顔は老けていて、悲しげな人相になっていた。私は、そんな老けた顔の父を見て、ざまあ見ろ、と軽蔑する気にはなれなかった。何とも言えない切ない気持ちになったのを覚えている。  私は泣いた。いや、赤ん坊の私は泣いていた。  若かりし父は、私を抱き上げ、あやし始めた。私の記憶にはなかった、父の満面の笑顔がそこにあった。私はその笑顔を見て、泣けるほど嬉しくなっていた。私は父に愛されていたんだ、と思うと、心の棘がスッと取れたように感じた。そして、私も父のことを愛していたのだ、と今、気が付いた。  私は父の顔を見た後、視力を失った。視力を失ったが、涙が自然と零れているのは、なぜだか分かった。涙が何もかも綺麗に洗い流してくれているように感じた。  「そろそろ時間だ」と死神が言った。  私は『えっ?』と反応する。  「もう死ぬ時間が来たんだよ」と死神は答えた。  私は心の中で、『聴覚がまだ残っている』と疑問を呈した。  私の疑問に死神は説明する。「聴覚だけは死んだ後も残しているんだ。俺様はお前の心の声を聞くことが出来るが、聴覚を失うとお前は俺様の声が聞こえなくなる。お前が魂になったとき、俺様の指示が聞こえなければ、三途の川を渡り切ることが出来ない。だから、三途の川を渡り切るまで聴覚は残してるんだ」  私は納得した。  私は思い残すことは無かった。死神に会ったばっかりは、この世に未練があったし、やり残した後悔もあった。だけど最後の五感の晩餐で、私の人生、捨てたものではなかったと思えるようになっていた。今では清々しい気持ちだ。  「準備はいいか?」と死神が言った。  私は心の中で頷く。  死神は、おもむろに私を掴んだ。私というより、魂の私だ。そして魂の私は、死神に引っ張られる。肉体と魂の分離が始まる。私は肉体と離れて行く。そして最後は、(へそ)の部分でゴムみたいに伸びて魂はかろうじて繋がっていた。死神は、その(へそ)の部分を大きな鎌で、(へそ)の緒を切るかのように魂を切った。  私の見える世界は、(もや)のかかった曖昧な世界だった。その中で若干、濃淡の違いがあった。エコー画像ように分かりずらい世界。    唐突に電子音がピーっと鳴り響いた。それからすぐに死神の声が聞こえた。「上に行け。上に昇って行けば、微かな光を感じるはずだ。それを目印にして進むんだ」  私は死神の言う通りにした。私が昇りだした時、「心肺蘇生を」という声が聞こえた。きっと病院の先生の声だろう。  私は癌を患っていた。ここ一年ほどは闘病生活が続いていた。入院生活中は、元気になったら、あれをやろう、これをやろう、とよく考えていた。しかし、それは叶わなかった。享年74歳。  年老いた老人は若者に、元気なうちに何でもしろ、とよく言うが、本当にその通りである。でも、老人のほとんどが若者にそう言うのだから、老人はみんな後悔して死んでいくのだろう。私もその一人だった、というだけのことだ。  私は光を感じ、その方向に向かって進む。光はどんどんと大きくなり、五感がない魂だけの私にも光の温かさを感じた。ああ、心地良い。もうすぐだ。    目の前に、川が見えた。綺麗な川だ。まるで絹の反物が何層も重なり合い揺れているようだった。そしてその先には、色とりどりの花が咲き、温かな光に包まれていた。  こっちの世界は見えないが、あっちの世界ははっきりと見える。私がいる場所は、もうあっちの世界なのだとはっきりと理解した。  「その川を越えて、向こう岸に行くのだ」と死神の声が聞こえた。  私は死神の声を聞くまでもなく、川を越え、向こう岸に行こうとしていた。向こう岸に行けば、亡くなっている父や母に会えるだろうか?  私は川に入った。そのときに聞きなれた声が聞こえてきた。  「あなた、目を覚まして」  妻の声だ。  「親父」  息子の声だ。  「つい先ほど息を引き取られました。午前2時40分、ご臨終です」と先生の声がした。    「あなた、元気になったら旅行しようって言ってたのに」  「親孝行もまだ何もしてないのに」  「おじいちゃん、目を覚まさないの?」  家族が私に向かって話をしている。  「あと一回、あと一回だけ目を覚まして。あと一回だけ声を聞かせて」  妻のむせび泣く声が聞こえてきた。  私は川から出た。もう一度、会わなければ。あと一回だけ、あと一回だけ、家族に。  私はその想いを一心に、来た道を帰った。  「バカ、止めろ。こっちに戻ってくるな」と死神の声がした。私は無視し突き進んだ。  私は元いた場所に帰って来た。鮮明に家族の声が聞こえる場所に。自分の体だと(おぼ)しき物体に入り込んだ。  しかし、その瞬間、死神に掴まれた。「無駄なことをするな。いくら戻って来ようとも、もう体は動かせない」と死神は言った。  『頼む、あと一回だけ、家族と話させてくれ。あと一回だけ』と私は心から願う。  「会って何を話すつもりだ?」  『せめてお礼が言いたい』  「ダメだ。そんなの生きているときに言わなかった、お前が悪い。そもそも、人生に、あと一回など無い。そのとき、そのときが、最初で最後の瞬間なのだ。あと一回があるとすれば、それは最後の五感の晩餐だけなのだ」  私はそれでも抵抗する。死神は「そもそも、死んだお前を生き返らすことは俺様にも不可能なんだ。俺の言うことを聞け」と言って、魂の私を引っ張り出す。  私はせめて何か、家族に伝えれないかと、自分の体を動かそうとした。「お前、このままだと成仏できず、地縛霊になるぞ」と死神に言われた。  私は、死神の言葉を聞き諦めた。力を抜き自分の体からは離れた。家族のすすり泣く声が聴覚に反響する。    私は今度は死神に引っ張られ、三途の川まで連れてこられた。「俺の仕事を増やすなよ。俺は忙しいんだぞ」と死神に言われた。「さっさと渡ってしまえ」と川に放り投げられた。  三途の川の中で家族の声が聞こえてきた。  「おじいちゃんは亡くなったんだよ。もう目を覚まさないんだよ」と息子の嫁の声がした。  「おじいちゃん、すごく笑っているね」と孫の声がした。  「そうね、今までで一番の笑顔かも」と妻の声がした。    すすり泣いていた家族が、クスクスと笑う声に変わっていった。    
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