あと1回

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「この数日が山かもしれません」  医師からそう告げられた。  父は88才。認知症の悪化で入院していたが、ここにきて老衰がかなり進行したようだ。  私は受け止められなかった。    去年、母が亡くなっていて、続けて父までも?  そう簡単に受け止められるはずがない。結婚していない僕にとって最後の家族なんだから。  実は数日前に父は死にかけた。  なんとか持ち直していた。  そしてまた悪くなってきたのだ。 「あと1回、もう1回」    頑張ってくれって祈っていた。  面会に行くと、いろいろな管は付いていたけれど父は元気そうで、僕を見るといつものように罰が悪そうな苦笑いをする。 「何か食べたいものある?」  僕が耳の悪い父のために大部屋のほかの患者さんには迷惑だけど大声でそう聞いたら、 「うなぎ!、ビール!」  そう元気に答えた。 「そっか、うなぎかぁ~、ビールかぁ~」  うなぎ味のお菓子とか食べられないだろうなぁ。ノンアルコールビールをとろみ付けても飲めないのかなぁ。  そんな独り言を言って、父に昔のキャッチボールの話をした。  父は去年亡くなった母のこと、つまり自分の妻のことさえ忘れている。覚えているはずがない。  だけど、キャッチボールの話をしたら少し表情が変わった。 「おまえはしつこいからなぁ」 「あと、いっかい」 「あと、いっかい」  そう言って笑った。 「覚えてたんだ」  そう言うと、また、 「あと、いっかい」 「あと、いっかい」  そう言って僕をちゃかして笑っていた。  その日はなんとか父は無事だった。でも、父と僕の間に橋というかトンネルが出来た気がした。  ほとんど父と遊んだ記憶すらなかった僕だけど、本当は父が僕に遠慮していたんじゃないかって気がした。  幼い頃の僕は母が大好きでいつも母と一緒にいたから。遊ぶのもいつも母と遊んでいた。  父はどこか僕にはよそよそしくて遠慮している気がしたのは子供の頃からだ。  大きくなってからは僕は友達をやはり優先していたから父とは自然と距離が出来ていた。  父にはそういう少し引いてしまう性格があった。  だから僕が話しかけると、いつも2時間ぐらい平気で話し続けていて、お酒もいつもより多めに飲んでいた。  それが大変だなぁって思って時々しか話しかけなかったけれど、父は僕ともっと話したかったのかもしれない。  だけど、母が亡くなりそうな時は父も認知症が進行していたのに、ずっと僕の話しを聞き続けてくれていた。  僕の唯一の理解者だった。
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