追々試験

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 やがて「もー、いいじゃん。一回も二回も変わんないですって」とアヒルみたいな口をする彼女に、僕は訊ねる。 「新川さん、一応訊くけど、ちゃんと勉強はしたの?」 「しました。でもやっぱ、興味ない学問だと定着しませんねえ。何回もベタベタ触ったあとのセロテープみたいに、よくペリペリと剥がれます」  何を言っているのだろう。しみじみとした口調で。縁側で茶でも啜っているように目を細めて。 「興味ないのに、どうして経済学部なんか来たんだ」 「先生なら、学生の情報くらい覗けるんじゃないんですか? あたしは『夢破れて山河なし』な負け組なんです」  この大学は、入学時には「文系」と「理系」の大きな枠で一般教育科目を学ばせ、二年生に上がるタイミングで学生の成績順に希望の学部へ振り分けるシステムを採用している。おおかた、本当は違う学部に進みたかったのだろう。「国破れて山河あり」という故事成語をギリギリ木端微塵にせず使っているところを見るに、おそらく経済学部よりも移行難易度の高い文学部あたりがご所望だったのかもしれない。 「希望の学部に移行できなかったから、振り返ったらもうモチベーションも消え去っていたってことかい」 「さっすが先生。経済ってどの科目もくそつまんなそうだなーって思ってたけど、先生の授業だけは違うなー、ってオリエンの時から思ってました」 「それはどうも。でも追々試験はしないけどね」 「なぁんでぇ」  彼女は地団駄を踏む。手足や髪が揺れるたび、花束に顔を突っ込んだみたいな香水のかおりがこちらにまで届いてくる。身体ばかりが大人びて、中身は下手をすれば高校生、いや、それよりも逆戻りしていそうだ。  どうして彼女はこんなにも駄々っ子なのだろうか。そもそも、僕の授業だけ違うなーっていうのは「面白そうだな」って意味じゃないのかよ。 「じゃあ、切り口を変えましょう。どうしたらあと一回、試験やってくれますか」 「だから、やらないって」 「そこをなんとか、お願いです、マジで。これ以上単位落としたら、いろいろとまずくって」 「どうまずい?」 「もう内定出てるんで」  耳を疑った。  僕の担当科目である「経営管理論」は三年次配当の科目である。つまり三年生に進級していなければ試験を受ける資格すら与えられない。二年生から三年生に上がるにも所定単位数があるから、とりあえずそれはクリアできていたのだろうが、まさか彼女が四年生だったとは想像の埒外だった。答案を採点しているときはいちいちそんなこと気に留めないし、シラバスにも「忌引や急病等を除き、いわゆる救済措置は一切執りません」と書いている。  それにもかかわらず僕が彼女に追試験を受けさせてあげたのは、感染症に罹患した旨の診断書を定期試験の欠席届へ添付してきたからだ。四年生だし卒業できないと困るだろうから……などという温情によるものではない。僕からしてみれば、理由は何であれ、追試験だって「あと一回」にカウントされるべきものだ。  腕組をしながら、椅子にもたれる。ギイ、と耳障りな軋み音が鳴る。もっと軋んでいるのは僕のメンタルだよ、と椅子をどやしつけたくなった。
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