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(何があった?)
遠く聞こえたざわめきが段々と大きくなり、次第に悲鳴や怒声も混じるようになって来たのを、ズィオは注意深く観察した。
何か只事でない事が起こっているのはわかった。やがて建物の中から、施設の職員とおぼしき大人数人と、それに先導された子ども達が、あるものは興奮した様子で、あるものは恐怖に顔をひきつらせながら、何かから逃げるように施設の敷地外へと出てきた。
子どもの中には泣きじゃくる者も数人いて、職員が必死にその背中をさすりながら、慰めの言葉らしきものを囁いていた。
建物の中で何かあったのだろう。ズィオは寄りかかっていた車から身体を起こし、運転席のドアを開けた。
そして、身に纏っていたフロックコートを脱ぐと、ボルサリーノハットと共に無造作に運転席の上に放り投げた。
コートの下には、良い具合に着古した白いセーターが表れ、首元からは薄い水色のオックスフォードシャツの襟が顔を覗かせていた。
それから、コートと一緒に脱ぎ捨てたハットの代わりに、フロントガラスの手前に投げていたコッポラ帽を手に取り、スッと頭に乗せた。
フロントミラーを眺めれば、そこには仕事をリタイアして時間をもて余しているといった風情の、高齢男性の姿があった。
(まぁ、俺の事を見たことがねぇ奴を誤魔化すくらいなら、これで上出来だな)
ズィオはまだ60に届くか届かないかの年齢だが、元々老け顔なのが幸いしたようだ。何気ない風を装って建物まで近づくために準備していた作戦が、日の目を見そうで何よりだった。
(褒められても嬉しくはねぇけどな)
そんなことを思いながら、ズィオは少し離れた道の先から、いかにも野次馬が様子を見にやってきたといった様子で施設に近づいた。
「何かあったのかい?」
何気ない風を装いながら、施設の門から少しはなれた場所でおろおろとする職員とおぼしき女性に尋ねた。
女性は子ども達を必死に落ち着かせながら、自分が一番動揺しているのを隠せずにいた。
「え、あぁいや…」
出し抜けに声を掛けられた女性は、建物とズィオ、そして子ども達の間で視線を行き来させながら、答えに窮したように目を泳がせていた。
「エディがコルティ先生とベッツィオ先生を人質にしたんだよ」
子どもの一人が、頬を紅潮させながらズィオに向かってそう言った。
「ちょっと、やめなさい」
女性職員は慌てて子どもの口を塞ごうとしたが、その言葉は耳栓の上からしっかりとズィオのもとに届いていた。
「エディ、エディって子が何かやらかしたのか?」
とぼけた表情でそう尋ねるズィオに、職員は気まずそうに目を伏せながら、いえ、別に、と言葉を濁した。
「エディってのは、エドゥアルド·サビーニのことかい?」
そんな職員に向かって、ズィオは低い声でさらに尋ねた。
「…何で、何でエディの名前を」
思いも寄らないズィオの言葉に、職員は唖然とした表情で彼を見た。
「そうか、当たりか」
職員の表情を肯定と受け取ったズィオは、不意に建物の方へ身体を向けると、駆け出した。
職員の制止する声や子ども達の声を背中に受けながら、ズィオは年齢を感じさせない俊敏な動きで養護施設の建物の中に消えていった。
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