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私は山道を歩いていた。
車が壊れたためである。
うら淋しいありふれたOLの自分。たまの休日、ドライブがてらやってきた山道。慣れない複雑な道を走るうちに、あれよあれよとあっという間に訳のわからない林道に入っていった。
デコボコの林道にタイヤを取られ、そしてあえなく私の軽四は道の脇の木に激突。そしてうんともすんとも言わなくなったのである。
電波は圏外。
私は電波の届くところまで歩いていく必要に迫られた。
今時圏外のエリアなんてよほど山の奥まで来ていたらしい。
私はとにかく山を歩きに歩いていた。
そして、
「どうやら迷子だこれは」
私は言った。
独り言も漏れるというものだ。
林道を辿っているつもりが、知らない間に獣道にでも入っていたらしい。
どう考えても大自然の真ん中に私はいた。
夏のむせかえるような緑の中、道らしい道は消え、深い森が私を見下ろしている。
「まずいぞこれは」
いわば遭難だった。
私はこの深い森で迷ってしまったらしい。
どうやら危険な状況だった。
素人が山の中を歩き回ってうまく出られるとは思えない。
そのうちに連絡でもしようものなら。獣とでも出くわそうものなら。
よくない想像が私の頭を駆け巡った。
「まずいまずい」
私は来た道を引き返そうと歩く。
しかし、戻っているつもりがどんどん森に奥に進んでいるようだった。
全然状況が良くなる気がしない。
私は思いつきで山にドライブしようとした今朝の自分を呪っていた。
しかし、いくら自分を呪っても状況はまるで良くならなかった。
「しくしくしく....」
私は気付けば泣き始めていた。あまりにも心細かった。状況は絶望的だった。
「なにを泣いておる。人間」
「へ...?」
そんな私に唐突に声がかかった。
幻聴かと思ったが確かに聞こえ、私は湧き起こる希望に顔を上げる。
声の主こそが救いのヒーロー。
「ひぇっ...!!」
しかし、私は悲鳴を上げるしかなかった。
なにせそこに居たのは人間ではなかった。
背丈は3mはあるだろうか。肌は真っ赤、頭にはねじくれた角、ざんばらな黒い長髪、そして腕が4本あり、口からは鋭い牙がのぞいている。錫杖と言うのだろうか、鈴のついた杖を持っている。女なのだろうか、修験者のような服装の胸には膨らみがあった。
「ひぇええ....」
私はか細い悲鳴を上げる。
怪物だった。どう考えても死ぬシチュエーションだった。私はこれからこの怪物に5体を破壊されて食われるのだろう。
そう思うと恐怖からその場にへたりこんだ。
「おう、恐れさせてしまったか。ワシにお前を害すつもりはない。楽にしろ」
「はぇええ....」
「無理か。とりあえず身分を明かそう」
そう言うと怪物は咳払いをする。
「ワシは鬼神、この山に住み着いておる。もう200年になろうか。修行を続けておる。たまにこうして山に入ってくる人間がおるから、その度様子を見に来ておるのだ。お前はどうやら遭難しているから少し心配になったまで」
「たたたたたたた、助けてくれるんですか?」
「そのつもりだ」
「こここここ、殺さないんですか?」
「お前なぞ殺しても楽しくもなんともない」
「ほほほ、本当ですか?」
「本当だ」
信じるべきかどうか、怪物、いや鬼神に会うには当然初めてなので判断に困る。
とりあえず、確かに敵意らしきものは感じない。鬼神はどっかりと腰を下ろし、なるべく私に目線を近づけてくれた。
4本の腕の一本で頬杖をついている。
とりあえず、信じることにしてみる。
取り乱して逃げたら逆効果な気もするし。
「ど、どうやったら山を出られるんでしょうか」
「ワシが案内すればあっという間だ」
「そ、それは良かった」
私は頑張って作り笑いを浮かべる。
しかし、どうしたことだろうか。
鬼神は腰を下ろしたまま動かない。
案内してくれるのではないのか。
やっぱり私を食べる気なのか。私の膝が踊り出す。
「そなた、キットカットは持っているか?」
「は、はい?」
「キットカットだ。チョコ菓子の」
鬼神の言葉が最初分からず私はしばし停止した。
そして、どうやらあの受験のお守りのお菓子キットカットの話をしているのだと気づいた。たっぷり時間をかけて。
「いえ、持ってないです」
「ふむ、なら他になにか菓子は?」
「え、ええと」
「カントリーマアムでも良いぞ」
どんどんこの山に住まう神からは出てくるはずのない単語が出てきて私は混乱していた。
さっきからこの鬼神は人間のお菓子をずいぶん欲しがっている。
異様な話だが、合わせるしかなかった。
「あの、アルフォートなら車にありますけど」
「ふむ、それは知らんな。どういう菓子だ」
「ビスケットに絵柄の入ったチョコが乗せてあるお菓子です」
「ほほぉ、良さそうだ。案内する代わりにそれをもらいたい」
「ははぁ」
やけに庶民的な鬼神だった。
「でも車への戻り方が分からなくて」
「ふむ、問題はない」
そう言って鬼神は錫杖を立てると、地面に叩きつけた。シャン、と鈴の音が鳴る。
すると、
「あれ!?」
景色が変わった。
むせかえるような緑の森の中から、気付けば林道。目の前には壊れて動かなくなった車があった。
「これでよかろう。アルフォートはあるか?」
「は、はい」
私は車の中からコンビニで買ったアルフォートの箱を取り出した。
箱を開けて、中からアルフォートを取り出す。
そして、鬼神に渡した。
「ほうほう、ほほぉ」
鬼神は目を輝かせながらそれを受け取った。まじまじとアルフォートを見つめる鬼神。
「なにやら絵が入っておるな。面白い」
そして、鬼神はアルフォートを口に入れる。
途端に満足そうににっこり笑った。
「うまいうまい。これは良い!」
「あの、欲しかったら全部どうぞ」
「良いのか!」
箱を渡すと鬼神は嬉しそうにアルフォートを頬張っていく。
不思議だった。
怪物が美味しそうにアルフォートを食べている。
なんかちょっと可愛いかもしれなかった。
「ふむ」
突然ピタリと動きを止める鬼神。
しかし、その視線は私ではなく車に向けられていた。
車の助手席に。
「その缶コーヒー、もらえんだろうか」
「は、はぁ。別に良いですけど」
「悪いな、ちょっと図々しいかな。すまんな」
「べ、別に良いですけど」
すごく申し訳なさそうに、しかし、しっかり要求は通して鬼神は缶コーヒーを受け取る。
長い爪で器用に栓を開けるとゴクゴクと缶コーヒーを飲む。
「うーん、やっぱりエメマンはいいのぅ」
また、鬼神らしからぬことを言うのだった。
「お菓子とかコーヒー好きなんですか?」
「いかにも。人界にかぶれておる。ここに人間が来ると様子を見るのもお菓子が欲しいからこそ」
芯の通った声ではっきりと堂々と鬼神は言った。
そこまで堂々とされると何もいえなかった。
人間かぶれの鬼神。ギャップがあって良いのかもしれない。
鬼神というのはみんなこんな感じなのだろうか。初めてでよく分からない。
しかし、とにかく。
「あの、山から外へ案内するというのは」
「む? そうだそうだ。エメマンに浸っている場合ではない。では、施し感謝する」
そう言って鬼神は錫杖をまた鳴らした。
途端に、
「あれ!?」
また私に目の前の景色は変わっていた。
ここは山の麓。国道の脇だった。
私の横にはスクラップになった車も一緒にあった。
どうやら、あっという間に山の外に出られたらしかった。
「良かった!!」
どうやら遭難からは見事に解放されたらしかった。
「不思議な体験だった」
私は山を仰ぎ見る。
アルフォート好きの鬼神。そんなものが住んでいるとは信じられない山。
本当に奇妙な体験だった。
多分2度としないし、2度としたくない体験だった。
あの鬼神は良い人だったが、やはり何度も出会いたい相手ではないだろう。
それはすなわち、また遭難するのを意味するのだし。
「まぁ、でもありがとうございました」
私は山に向かってぺこりと頭を下げた。
その時だった。
ぽん、と私の目の前にアルフォートと空き缶が現れた。
「ゴミは持ち帰って綺麗な山を維持しましょう」
そして、私に頭の中にそんな声が響いたのだった。
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