魔法の言葉

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『瑛人くん、大丈夫よ。先生も一緒にいるから、大きく息を吸って吐いて、最後にあと一回だけ、頑張ってみよっか。ね?』 『せんせぇ……ボク無理だよぉ……。大きな声、きっと出ないもん』 『ふふっ。小さな声は出てるもの。せーの!であと一回だけマイクとお喋りしてみましょう』  せーの!  もじもじしながら壇上に立たされていた幼稚園での5月のお誕生日会。あの時、先生の小さな声が俺の人生を動かした。 『す……すみれ組の中条瑛人(なかじょうえいと)です……! え、っと、5歳になりました!』  舞台を囲う小さな手のひらが一斉にパチパチと音を鳴らして誕生日を祝うと、先生がピアノでバースデーソングを引き継ぐ。弾むような伴奏は子供達の元気な歌声を呼んで響かせた。  あの時に先生が『あと一回』の魔法を唱えてくれたから現在(いま)がある。……そう思っている。  【再生】が【停止】になったところでイヤホンを外すと、後輩の下北(しもきた)が衣装の装飾品を届けに来た。相手役の役者が代役に変更したとのことで、急きょ左胸に刺すコサージュを変えなくてはならなくなったのだ。 「瑛人さんって、いつもイヤホンしてますよね。好きな音楽でリラックスですか?」 「いいや。魔法を掛けてもらってるんだよ、イヤホンを通して。極度のあがり症だからね」 「またまたぁー。あがり症なのに主役って……冗談キツイですから」  冗談じゃないんだけどね……と思いながら青色のコサージュを刺すと鏡を覗いた。  昨日届いた先生の訃報に目が腫れるくらい泣いた。それがわからないくらいに、メイクでその跡も綺麗に消えている。鏡に映っているのは貴族の令嬢を口説き落とす詐欺師の冷酷な男だ。  『あと一回』は、先生がくれた魔法の言葉。後悔しないための大きな勇気をくれた言葉だった。  あの時の小さな声を忘れることはない。  舞台役者を目指す切っ掛けになった先生からのエールをリフレインして人生(いま)に活かしている。  せーの!  開幕のブザーを舞台の中央で聴く。ふぅ……と軽く深呼吸。幕が上がると四方八方からのスポットライトが眩く照らした。俺は足を揃え、優雅にお辞儀する。 「シャルロット様、私と一曲お相手願えませんか?」  瞬間だけ魅せる俺の冷ややかな視線と声の抑揚は、観客の視線と関心を一身に集めていた。(終)
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