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カップをレジに置くと、「いらっしゃいませ」と若い女がバタバタとバックヤードから出て来た。女はレジの画面を何回かタッチし、カップを手に取りこちらを見上げ、急に動きを止めた。
不審に思って視線を合わすと、女は口を半開きにしてまじまじと自分の顔を見ている。
自分と同い年くらいか、まだ学生だろうか。ややむくんでいるアーモンド形の目、申し訳程度に描いた眉毛、皮膚に刺さりそうなほど乾燥して傷んだシルバーヘアを後ろで適当に結んでいる。出勤にメイクが間に合わなかったギャルという雰囲気だった。困惑し、名札を見る。「平野」。自分の知り合いにはたぶんいない。
平野は発作のように、え、え、と繰り返しながら、
「お兄さん〝ユウヤ〟に似てるって言われません?」
となぜか小声で聞いてきた。
意味がわからず立ち尽くしていると、平野がもどかしそうにレジの下からライブチケット用のカタログをひっぱり出す。
「今ちょうどチケット販売してて。〝どんまい・ロマンス〟って言うグループで、」
相変わらず小声である。
グループ名くらいは聞いたことがある。昭和でもつけないようなひどいネーミングセンスで、見たこともないメンバーを嫌味ではなく哀れに思ったからだ。まだグループが存続していたことに驚いていると、顔を上気させながら平野はカタログの表紙を見せつけ、男性5人のうち〝ユウヤ〟らしきアイドルを指す。
「〝YU-YA〟、ガチでうちの推しで、バカ歌上手いんですよ」
ぱっと見YU-YAは他のメンバーに比べると大人しくて目立たなそうな印象だが、よく見ると上品で端正な顔立ちだった。
たしかに、やる気のなさそうなタレ目は自分に似ていなくはない。正直、悪い気はしない。
リアクションに困って固まっていると、
「うち、〝どん・ロマ〟結成当時からファンだったんですけど、周りに言えなくて。〝どん・ロマ〟好きって言うの、なんか恥ずかしいじゃないですか」
それはなんとなくわかる。自分が仮にファンになってもこのグループ名を友人に言うのはかなり抵抗がある。
と、後ろにカゴの中に商品をつめた中年男が並び、咳払いをした。
平野は急に我に帰ったように店員モードに切り替わり、
「ネットニュースのアプリ使ってます?」
とたずねる。「今コーヒーの割引クーポン出てるんで」と付け加える声が、なぜか妙に緊張している。
普段だったら面倒で首を振るが、なぜか今日は素直にジーンズのポケットからスマホを出す。
後ろに立つ客の煽りが気にならないわけではないが、平野が丁寧に手順を教えてくれるので、その通りスマホを操作する。
最後にバーコードリーダーがスマホの画面を軽快な音を立てて打つ。
そのまま電子決済を済ませ、カップをつかんで脇に避けようとすると、「あ、お兄さん」と平野が急いで呼ぶ。
「今月中一日一回、クーポン使えるんで」
平野は不自然な頬のこわばりと真剣なまなざしを向けている。意図がわからず曖昧にうなずき、レジ横のマシンでコーヒーを落とし始める。なんとなく意識して様子をうかがっていたが、その間会計中の平野と目が合うことはなかった。
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