1.瀕死の政子

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「まあ」 「他所で何かもらってきたのではと思うのです。私は診療所に詰めておりますから、普段の政子の様子がわかりませんで、どこぞに出かけたなど、ご存知でないでしょうか」  たえは神妙に頷く。 「それで今朝はお見えにならなかったのですね」  政子は毎朝、この近くの奥方と井戸端で立ち話をするそうだ。昼はその付き合いでどこかに出かける、例えばたえと買い物や芝居を見にでかけることもあるし、診療所の患者のもとに様子伺いに向かうこともあった。 「様子伺い、ですか?」 「ええ。政子さんは診療所で回復された方のところにお伺いして、その後の様子をお聞きになるそうよ。そんなだから退院の後も気にかけて頂けるって先生の診療所はとても評判がよろしいのよ。私やこのご近所のみなさんの様子を細かく気にしていただいて。だから調子が悪くなれば政子さんに相談して、早めに先生に診ていただくことにしているわ」  なんということだ。与一は呆然とした。  与一は腕の良い医者と評判だった。幸いにも訪れるのは軽い症状の患者が多かったし、特に4年ほど前からは急病で死ぬと思った患者も何故だか急に回復する、ということが時折あった。そのおかげか柾診療所は評判がよかったのだ。天運だろうと思っていたが、その評判のいくぶんかは、政子が作ったものらしい。 「何故、俺に言わないのだ」  口の中でそう呟いたが、たえには聞こえなかった。 「最近の政子さんでしたら、昨日はお茶の先生、その前は詩吟の先生のところにお出かけになられてましたよ」 「詩吟、ですか?」 「ええ。最近の政子さんのご趣味のようだわ」
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