2.政子の行方

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2.政子の行方

 その帰り、与一の足取りは重かった。  与一の思っていた政子と実際の政子が、どうも大きく異なっていると感じたからだ。思えば政子は家ではいつも、一歩控えていたように思える。昔からそうだっただろうか。  与一は医者の子で、政子も隣の三春夜(みはるよ)村の医者の娘だった。見合いで、粛々と婚儀を上げた。その頃はまだ、政子はもう少し与一に話しかけていた。けれども何を話したのか、与一には一向に思い出せなかった。  昨日赴いたというお茶の先生に話を伺えば、普段と異なる様子はなかったという。政子は常に朗らかで、常々腰痛を気にかけていたそうだ。茶の先生の顔にも見覚えがあり、そういえば何度か湿布を用立てたことを思い出す。どうやら月に3度ほど伺っているようだが、政子が与一に茶をたてたことはこれまでにない。  政子が親しいのは患者ばかりだ。なのに与一はそのことを全く知らなかった。  次に訪れた詩吟の先生の言葉で、与一は首を傾げた。 「誠に申し訳ないが、柾政子殿という名に思い当たりません」 「そ、そうでございますか? こちらに政子が詩吟を習いに伺っていると聞きましたので……」  その端喰と名乗る年の功三十ほどの男は、困惑げに眉を潜める。 「そもそも、私は誰にも詩吟を教えておりません」  どうやら端喰は句会に呼ばれては俳句を吟ることはあっても教室など行っていないという。たえは確かに、この長屋の端喰という先生のところに通っていたといっていたのに。 「しかし……」 「お調べ頂いても結構です。けれど、あなたには見覚えがあるような」  今度は与一の方が困惑した。端喰は眼光が鋭くそれなりに異相で、一度見ればそう忘れる風情でもなかったからだ。  けれどそこまで言われれば、与一としても仕方がない。困惑を互いに交わしつつ、怪訝そうに与一を眺める端喰に頭を下げて家に戻れば、政子は朝と変わらぬ様子で滾々と眠りについていた。 「政子、お前はこんな顔だっただろうか」  記憶より少し老けてふくよかになった顔貌を眺めれば、与一の心に自分は一体何をやっていたんだという自責の念がこみ上げた。  ともあれ、与一の求めることは政子の回復である。回復して、きちんと話をしよう、他になにか手がかりがないかという頭で政子の行李を弄れば、一冊の帳面が現れた。開けば日記のようだった。そこには几帳面な字で、今日はどこそこへ行ったと簡単に書きつけられてある。  昨日は茶の先生、そして一昨日は端喰先生のところへ行ったと書かれている。  さりとて、与一には端喰が嘘をついているようにも思われなかった。だから不審に思いつつ更に帳面をめくると、時折奇妙な書付があることに気がついた。 
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