おもいでゆうびん

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──学校からの帰り道。普段と変わらない景色、変わらない歩み。「つまらないからこのままどこかに遊びに行ってしまおうか」なんてことも思ったりする夕刻のひととき。 やりたい事も無い、勉強も分からない。部活も出来ないことばかりでつまらない。『ない』が溢れたありふれた日常のさなか、一枚の紙切れがひらりとわたしの目の前に落ちてきた。晩夏の日差しに頬を撫でられていたわたしは、まばゆさに細めた目をゆっくりと開く。 太陽に絶え間なくあぶられた地面に似つかわしくない真白い紙には、柔らかい文字で一言書かれていた。 『おもいでゆうびん』 「……おもいでゆうびん?」 聞き慣れぬ単語と、見慣れない状況。空を見上げてみても落とし主の姿は見当たらない。いや。見当たったところで返す手段などわたしには無いのだけど。紙の隅に視線をずらしたところで、自分の名前が書き記されていることに気づく。何でだ。……たまたまにしては出来すぎている。 非日常への足がかり。奇怪な現象と呼ぶべきか。でも、不思議と薄気味悪さよりは心地良さが勝った。 吹く風に促されるように紙を、裏返してみると。 「なにこれ……」 そこには短いメッセージが記されていた。 『あなたはとても優しいひと。きっとこれからたくさんの困難が待ち受けているだろうけどどうか曲がらずまっすぐに育っていってほしい。『何度でも』が無理でも、『あと一回』ならきっと出来る。私もお父さんもあなたのことが大好きです。いつでもあなたの味方で居るからね。私たちのもとに来てくれてありがとう』 差出人は、わたしのお母さんの名前だった。 ……そこに記されていたのは、溢れんばかりの感謝と愛。 小さな子どもに言い聞かせるような語り口は慈愛に満ちていて心がくすぐったくなる思いだ。背の丈ばかり大きくなっていった今では交わし合うこともない、ひたすらの優しさとあたたかさが短い文に込められている。 わたしはだんだんと理解が及んでくる。 ──おそらく、おそらくだが。これはわたしが生まれて間もない頃のお母さんの言葉。 待ち受ける困難にうつむくことなく「あと一回だけやってみよう」という心の強さを芯に持てと、祈りを込めて小さなわたしに伝えた言葉の気がする。もとよりこんな事を他人に伝えたところで変なやつ扱いされるのがオチなんだ、それならわたしの好きなように考えたっていいだろう。 『ない』尽くしの空っぽの心に、光る星粒が落ちてきた。 それはきっと何よりも輝く一等星。 見失わなければ、決して道に迷うことはない。 「──よし」 辺りを見回してから落とし主が居ないことを確認すると、わたしは家路を辿る。その足取りは背を押す風に抗わず、軽い、かるい。さっきまで「どこか違う場所に行きたい」と感じていたのが嘘のようだ。 帰ろう、かえろう。話をしよう。あと一回なんて言わない。何度でも話をしよう。わたしをお母さんのもとにもう一度導いてくれた、不思議なゆうびんの話をしよう。
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