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『まんずせんせい』は、温乃妃子が死ぬ直前に口にした言葉と、今のところ最も近い。
(彼女は、あの時、萬豆先生と言ったんだろうか……。どんな人なんだろう?)
ヨシタカは、どうしてもその先生に会ってみたくなった。
「校長先生、萬豆先生と話したいんですが、今は授業中ですか?」
「萬豆先生?」
「はい、6年前の件で、是非聞きたいことがあります」
「萬豆先生は授業中ですね。それに、彼にも私は話を聞いています。教頭先生と同じで、特に関りはありませんでした。もう一度聞いても、新しい事実は出てこないでしょう」
その時に何を言ったのかは大体想像がつく。教頭先生と同じだろう。
当たり障りのないアリバイを説明し、自殺する動機に全く心当たりがないとでも証言したのだろう。
その先生が火を点けた犯人かもしれないのだから、犯人なら、6年前の聞き取りでは偽証した可能性がとても高い。それを暴くためには、直接聞くのが一番だ。
(聞いていくうちに、どこかで矛盾が生じるはず。それを明らかにすれば……)
しかし、校長を説得しようにも、霊視で視たと言ったところで信じないだろう。不信感を与えてしまえば、追い出されてしまう。それが怖い。
だから、詳しい事は言わず、終始熱意の表明に徹した。
「はい。分かっています。それでも、当時のことを知りたいんです」
「うーん……」
「お願いします! 迷惑は掛けません! 僕は6年前の件について調べたいんです! どうして善良な生徒が亡くなったのか。その生徒のためにも、明らかにしたいんです!」
「そうですねえ……」
「是非! お願いします!」
「そこまで言うなら……」
「ちょっと待って!」
もうひと押しのところで、教頭が割って入ってきた。
「校長先生、私は反対です!」
「教頭先生、聞いていらっしゃったんですか?」
「ええ。この人たちは、6年前の件ではただの部外者です。そんな者たちに学校の情報を教えることになります」
「確かにそうですが……」
教頭先生は、ヨシタカに睨みを聞かせている。ここまで強固な態度を取る理由が気になる。
校長は、板挟みになって戸惑っている。
もうダメかと諦めかけたその時、「分かりました。授業が終われば戻ってくるので話していいですよ」と校長が何故か許可を出した。
「え?」
「6年前の件はすでに終わったことですし、新しい事実は出てこないでしょう。それでもいいなら」
「ありがとうございます!」
教頭は、納得がいかない。
「校長先生、どうして許可を出すんですか?」
「彼の熱意に負けました」
「熱意⁉」
教頭は、驚いた。
「この人たちの本当の目的なんて、分からないんですよ」
「そんなに疑うこともないでしょう。彼は、とても真っ直ぐな目をしている。私は常々、生徒たちに彼のような真摯な人間になって欲しいと願っています。だから、ここで彼を拒否するのは、教育者として間違っていると思うんです」
それを聞いた教頭は、目を白黒した。
ヨシタカもその理由に驚いた。
(熱意だけで信じてくれた?)
校長は、ヨシタカが6年前の件を知りたがっている本当の理由を知らない。詮索もしない。ただ、熱意に圧されて許可を出した。
ヨシタカは、ふと思い出した。
人を動かすのは、理屈や損得ではない、熱意である。と、ある人が言っていた。
その人は、50代の自称起業家で、店ではオーさんと呼ばれていた。
数名を連れてたまにやってくる上客だが、面白い事に毎回連れの顔触れが変わる。
その人の接客はマスターが担当なので、ヨシタカは直接会話したことがない。
ただ、小さい店内だから、勝手に声が耳に入ってくる。その程度である。
それでも頭に残っている。それぐらいしつこく言っている。
『人を動かすのは、理屈じゃ損得じゃない。熱意だよ。熱意が全て!』
熱意を持って真剣に訴えれば、人というものは、通常なら断るような話でも受け入れてしまうそうだ。他人を信じて任せるか任せないかの境目は、熱意らしい。
オーさんは、そうやっていくつもの大型投資案件をまとめてきたのだという。
マスターは、口では『素晴らしいですね』と褒めていても、裏では、『あの人の言う事は話半分に聞いた方がいい』と醒めていた。
『あの人の言っている事って、全部ウソなんですか?』
『いやいや。やっていることは本当らしいから、ウソじゃない。ただ、どれもこれも継続して成功した事業はないんだよ。潰しては新しい会社を立ち上げている』
『よく資金が続きますね』
『彼には、何故か人と金が集まってくる。口が上手いからね』
へえーと驚いていると、こうも言った。
『夜の新宿では、あの手の人間をたくさん見てきた。彼のような人は、人たらしと呼ばれている。そんな人間には2種類いる。本当に何かする人と、詐欺師と』
『詐欺師?』
『そうだ。案外人って、熱意に弱い。絆されて惑わされて、内容をよく吟味せずに金を出してしまう。詐欺師は、金を受け取っても実行することはない』
『でも、あの人は騙そうとしているわけじゃないですよね』
『その人の心の中なんて、他人には見えない。本当に出来ると豪語するなら、自分の金でやればいい。つまり、他人を巻き込んで出資させている時点で、他人の金が目当てってことになる。失敗しても所詮他人の金。自分の懐は痛まないから平気。どっちもどっちで、やっていることは変わらない。ヨシタカ君も気を付けるんだよ。他人が持ってくる話で、本当に儲かる事なんてないから』
マスターは、素直に他人を信じてしまうヨシタカを案じて忠告をくれたのだった。
『マスターも騙されたことって、あったんですか?』
『ハハハ。それは秘密だ』
ヨシタカの目に、若いころのマスターが歌舞伎町で血眼になって誰かを探している様子が視えた。
いろいろあったんだなと思った。
生き馬の目を抜く夜の新宿。いかに他人を出し抜くかが全て。騙し騙されて生きていかなきゃならない冷たい世界。
そこと違って、人を信じることを教えたい校長がいるここは、暖かな楽園だ。
(そんなことはともかく、よく知りもしない僕を信じてくれた校長先生の厚意を無為にしないよう、ここはしっかり萬豆先生と向き合わねば)
ヨシタカは、襟を正した。
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