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入り口で入店を拒否することもあって、かつてマスターにドレスコードについて聞いたことがある。
『なんで入口に書いておかないんですか?』
『場合によっては、入店を許可することもあるから。なんでもガチガチにしないほうがいいんだよ。入口でうちの客層を見て、自らを省みれない人は、騒いだり絡んだり、他のお客様とトラブルを起こしやすい。ドレスコードがありますというのは、そういう客を断るための方便。お客様には、気持ちよく飲んでほしいからね』
マスターは、一見客も基本的にはお断りしたいようだ。
しかし、これからよいお客様になりそうな、常識的な人なら話は別で大歓迎である。
ヨシタカは、彼女の名前を思い出そうとしたが、すぐに無理だと諦めた。
マンモス大学でとにかく人が多い。他人と関わることと団体行動を避けてきたヨシタカは、どこのコミュニティサークルにも属していない。誰かと空き時間に雑談することもないので、同級生の名前を覚える機会がなかった。
霊視で知ることはできるが、それはアンフェアであるし、余計な情報を勝手に知ることになるので、本人の許可が出なければやらない。
さりげなく会話で目的を探っていく。
「私がここで働いていると知っていて、来店されたんですか?」
「いいえ。ここで霊視占いをしてくれると口コミで知って、興味本位で来てみました。まさか、君がいるとは」
君呼ばわりということは、向こうもヨシタカの名前を知らないようだ。
大学で徹底的に気配を消してきた成果である。
これならお互いに初見同士のようなもの。立場はイーブンだ。
「霊視占いをご希望なんですね」
ヨシタカがいるから来たのではないと分かって、少しホッとする。
「私は木佛ヨシタカ。名前を教えてもらっていいですか?」
「白部瑞波です」
「霊視占いは、ドリンク一杯のご注文を頂いています」
「ああ、そうなんですね。システムを良く知らなくてごめんなさい。えーと、お酒の名前を知らないので、お勧めをお願いします。見るだけで楽しくなる甘めのカクテルが希望です。出来ますか?」
「かしこまりました」
ヨシタカは、赤ワイン、チェリーリキュール、アガベシロップ、氷をシェーカーに入れると軽くシェイクした。
クープグラス(幅広のシャンペングラス)に注ぎ入れて、アメリカンチェリーを乗せると、泡立つピンク色の可愛らしいカクテルが出来た。
「どうぞ」
「すごい。ちゃんと見るだけで楽しくなる。味も楽しみ」
瑞波は、感心しながら暫く眺めると、恐る恐る口に含んだ。ゆっくり味わいながら、喉の奥に流し込む。
「あー、甘酸っぱくて爽やか。久しぶりに元気になった気がする」
気に入ったようで白い歯を見せた。
「ずっと気分が落ち込んでいたの」
瑞波は、しんみりした。何か悩みを抱えているようだった。
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