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キーボードを叩いていた手が、また止まった。兵藤は画面上の生まれたばかりの文字の羅列をしばらく睨んで、惜しむことなく人差し指をバックスペースキーに沈めた。ドミノ倒しのように消えていく文章。
俺は何でこんなことをやっているのだろうと、ふと我に返ることがある。
小説を書くという作業は、兵藤にとって、お世辞にも楽しいとは言えないものだった。一人暮らししている安アパートで、ノートパソコンを前に、空っぽの脳の中から何とかアイディアの断片をひねり出す。そろそろ慣れてもよさそうなのに、毎回そんな具合だ。苦しくて、もどかしい。
溜め息をついて、兵藤はペットボトルのカフェオレで軽く口を湿らせた。パソコンから視線を逸らせば、余計な小物なんかは一切置いていないデスクに、今回資料として使っている本が三冊、無造作に積んであるのが目に留まる。
では、なぜ小説を書いているのか。分からない。けれど、コンテストに落選して、俺には才能がないのではないかと極度のアパシーに陥っても、半月後には「あと一回」という気持ちがポッと胸に兆すのだ。短編長編問わず、何々コンテストだの何ちゃら文庫大賞だのに応募しては、無慈悲に落とされる。そんなことを大学時代から数年間繰り返してきたが、今回も「あと一回」が起きてしまった。
あと一回だけ、賞を狙ってみよう。
あと一回だけ、試してみよう。
あと一回――。
この気持ちはどこから湧いてくるのだろう。答えを知らない兵藤は、その厄介な思いを飼い慣らせないまま、再びパソコンに向かうのだった。
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