長谷川×山岡編

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 Bluetoothを通じて車内に鳴るコール音。ちら、と長谷川が右隣を見る。山岡が完全に眠ってしまったのを確認してから電話に出た。 「着いたか」 『はい。どこに放り込んでおきますか?』  電話の主は滝川。長谷川は山岡が起きないよう、互いのボリュームを落とす。 「寝室の隣に。……少し、眠らせておけ」 『承知しました』  手短に通話を切り、長谷川が低く喉を鳴らす。どこか愉しそうな笑い声は、すぐにサックスの音色にかき消されて失せた。ギラギラとした双眸の、冷たい眼差し。向かう先は滝川に命じた同じ場所。隣で眠る山岡を乗せ、車は長谷川家の別荘と向かう。  初恋を歪ませたストーカー気質の男が、愛する人の近くにいたいがために購入した物件だ。当の想い人が亡くなってからは、管理人に任せっきりになっている。先行させた滝川たちの車は既に到着しており、車のエンジン音を聞きつけて部下たちが外に出てきた。 「お疲れ様です。準備は全て整えてあります」 「滝川は奴と中にいるのか?」 「はい。まだ薬で眠っている状態です」 「ご苦労だった。お前たちは戻れ。あとは俺と滝川でやる」  短く返事をして下がる部下たちを横に、長谷川は山岡を抱えて別荘内に入った。よほど疲れたのか山岡は熟睡していて起きる気配がない。このまま寝かせておいてやりたいが、奴を警察に突き出す前にやっておきたいことがある。それには山岡の協力が必要不可欠だった。 「若」 「ご苦労だった」 「おそらく、あと一時間程度は起きないと思います」  そうか、と頷いて山岡を用意されている湯殿へ連れて行く。滝川も後に続いた。外には露天風呂があるが、山岡が風邪を引くといかないので今回はお預けだ。湯殿用に置かれている檜の横椅子に山岡を寝かせ、そっと声をかけた。その間に滝川は着替えを準備し、またすぐに脱衣所を出て行った。尚大を見張るためだ。 「尚。尚、起きて?」  あれだけ眠りの浅かった人間とは思えない深い眠り。これは駄目だ。全然起きる気配がない。長谷川は自ら服を脱ぎ、山岡の服も手早く剥いでゆく。仕方ないので山岡を横抱きにして湯舟に運んだ。  お湯につかってもピクリともしない。スヤスヤと脱力しきっている。可愛い寝顔だ。  山岡は何故長谷川と一緒だと眠れるのかと、疑問なことだろう。だが長谷川の方には一つだけ心当たりがあった。それは山岡が忘れてしまっている過去の中にある。当時の山岡は、とにかく笑わない子だった。今でも鮮明に覚えている。生気のない顔とやせ細った体。髪は今より長く傷んでおり、顔を隠すようにして覆われていた。しかもひどい猫背なせいで、全体的に陰鬱な印象だった。  口数も極端に少ない。いつも下を向いていて視線が合わない。そうでいながら、祖母の律子と話す時だけは人間らしい表情を浮かべる。だが彼女以外に向ける警戒心の強さは、傍から見て異常なほど。律子もそれを心配していた。  祖父の使いで祖母に見舞いの品を運ぶのは、当時の長谷川の仕事。まだあの頃は長谷川家が足を洗っておらず、長谷川の家は正真正銘の極道だった。関東では知らない者がいないほどの勢力を誇っていたくらいだ。  だが長谷川の父は病弱な上に、当時は組の人間が薬物に手を出し始めて泰造は深く悩んでいた。  元々どうしようもないゴロツキを集めて真っ当な仕事に就かせ、多少手荒な真似をしても警察の厄介になることだけはしない、させない。それが泰造の信条だった。大きくなり過ぎた故の齟齬。どうにも金儲け目的の新入りには通用しない。  思い悩む泰造に、誰より組の解散を支持したのは長谷川の叔父だった。極道にそこまでの執着と矜持があるわけでもなく、事業も成功している。これ以上、病弱な兄の気苦労を増やす必要はないと、泰造や周囲を説得した。結局解散前に長谷川の父は死んでしまったが、これをきっかけに泰造は組を解散する。その後は長谷川グループを叔父に任せて、自信は全ての表舞台から身を引いた。  しかし、そうは言っても未だに極道だった頃の名残りは、実に根深い。何より極道だったことに間違いはなく、滝川たちなどの住み込み衆は未だに長谷川のことを若と呼ぶ。しかも喧嘩っ早いため、喧嘩では流血沙汰も珍しくはない。特に酷いのが、祖父と叔父の親子喧嘩だ。  昔は、長谷川の父が仲裁役だった。温厚な人で、薄く微笑みながら喧嘩を止めていた。今は代替わり。息子の長谷川が、融通の利かない二人の喧嘩を止めている。父と違って、言葉だけではどうにもならないが。 「ん……」 「起きた?」  とろん、とした瞳が潤んでいる。キスしたいなと思ったので唇を寄せ、少し乾いたそれを啄んだ。眠そうな声が零れてくる。可愛い。どこもかしこも可愛くてたまらない。  日本を離れている間も、ずっと見張らせていた。家を出たと知り帰国を早めたが、向こうのCEOに泣き付かれて半年我慢した。そのせいで山岡が騙され、全財産を失ってしまった。例の女はまだ捕まっていない。実を隠すのがとても上手い。長谷川の情報網にも引っかからない。  彼がどん底にいるのに、長谷川は何もできなかった。これ以上は我慢ならないと強制的に帰国したのは、彼がソルーシュのメンバーに拾われた後だった。  一番助けたかった時に助けられなかった。一番頼って欲しかった人に手を差し伸べられなかった。  今度は自分が彼を助けるはずだったのに。今度こそ約束を果たす時だと思ったのに。 「……尚」  広い石造りの半露天風呂に沈めて、徐々に唇を深く交わらせてゆく。半濁していた意識も浮上したらしく、細い体が小さく震えた。けれどすぐには離しはしない。戸惑って縮こまる舌先を追って口腔へ侵入し、口蓋をなぞって水音を打つ。コクリ、山岡の喉が鳴った。恥ずかしそうに耳まで真っ赤にしている彼を抱き寄せて、角度を変え更に深く口づけた。  山岡は抗わない。混乱している素振りは見せるが、拒絶する気配はない。それが長谷川の行動を大胆にする。湯に沈む柔らかな腿を撫で、際どい内腿に指を這わせた。瞬間、山岡の体が大きく跳ねる。濡れた視線が不安の色を濃くしていた。  まだ早かったか。長谷川は人好きする笑みを浮かべ、一旦この場を引く。今日は今から、彼に大切な役目を担って貰わねばならない。ここで恐怖心を与えるのは得策ではなかった。 「起きた?」 「は、はい……」  まだ混乱しているようだ。起きたらいきなり風呂場でキスをされていたのだから無理もない。  そんな山岡を膝から下ろして、自分は湯舟から出た。 「じゃあ僕は上がるから、ゆっくり温まってくるんだよ。そこにあるソープ類は使っていいからね」  笑顔で立ち去り、軽くローブを羽織って隣にあるシャワーブースへ足を運んだ。そこで改めて体を洗い、服を着替えてリビングに向かう。  流石、祖父の代から管理を任せているだけのことはある。隅々まで手入れが行き届いており、冷蔵庫の中には水と酒、炭酸水が常備されていた。定期的に入れ直しているのだろう、日付がまだ新しい。  いくつかあった銘柄の一つを手に取り、喉を潤す。  山岡が風呂に入っている隙に、心配していると思われる志間へ連絡を入れた。 『もしもし! 長谷川さんっ?』  コールが鳴りやまない内に志間が電話に出た。長谷川は彼に山岡の無事を伝えると、心底安心したような声が返ってきた。傍に美津根と曽田もいるようで、奥から声が聞こえてくる。三人とも相当心配していたらしい。 「ちょっとお願いがあるんだ。尚なんだけど、今週は店を休ませてもいいかな?」 『もちろんっ。ゆっくりしてもらって! あんまり長いと変な方向に考えるかもしれないから、とりあえずは一週間ってことで』 「僕もそう思う。ありがとう、助かるよ」  何故、今週末と言ったのかを即座に理解してくれた志間に礼を言い、話が早くて助かると笑みを浮かべた。  そこに滝川が二階から下りてくる。電話中の長谷川にスポイド付きの小瓶を差し出し、それを受け取りながら長谷川は会話を続けた。 「じゃあまた明日、尚から連絡させるよ。今日はひどく疲れてるから。うん、分かった。ありがとう」  安心した様子の志間との電話を切り、手にした小瓶に目をやる。ラベルはない。深い焦げ茶色の小瓶。入っている液体は半分ほど。 「即効性がある分、持続性はさほどありません」 「使用容量は?」 「グラス一杯に一、二滴ほど。あとはオイルやジェルに混ぜる際、もう少し足してください」 「分かった。下がっていい。ご苦労だった」 「では、所定場所にて控えております」  鷹揚に頷く長谷川に一礼して、滝川がリビングを出て行く。  それからしばらくしてバスローブ姿の山岡が出てきた。ソファに座って彼を待っていた長谷川は、笑顔で彼を手招いてグラスを差し出す。やけにホッとした表情なのが気になったが、知らない場所で心細かったのかもしれない。 「お風呂、ありがとうございました」 「ちゃんと温まってきた?」 「はい。あんまり広いんで、驚きました」  良かった。もう怯えた様子はない。目を細めて頷いて、彼をソファに促した。 「先に、尚に謝っておかないと」 「え? 何をでしょう」  なんの躊躇もなく長谷川の差し出したミネラルウォーターを飲み干して、山岡が首を傾げる。長谷川は笑み深くしてグラスを受け取り、空になったグラスをテーブルの上に置いた。細い肩を抱き寄せて、ほとんど真上から山岡を見つめる。 「さっき志間くんに連絡してね、しばらく尚は休ませますって言っちゃった」 「えっ」 「志間くんたちもそれがいいって」 「しばらくって」 「今週末までだよ」  それを聞いて山岡が安堵の表情を浮かべた。もっと休みが続くと思ったのだろう。明日、改めて連絡をするように言うと素直に返事をした。  本当に素直な子だ。基本的に人を疑わない。一度痛い目に遭っているだろうに、彼の心は綺麗なままだ。  長谷川を信頼してくれているのだろうが、だとしても逆の立場なら長谷川はそれを他人に任せない。まず開封済のものには口を付けないし、自分に関わりのあることなら裏を取る。  生い立ちから見ても彼がここまで綺麗なまま育ったことは、本当に奇跡的だ。いくら律子がいたからといえ、これは彼の生まれ持った特性だ。だからこそ、こうも強く惹かれるのかもしれない。 「今日は疲れただろう? 寝室に案内するから」 「あ、あの。でも……彼は?」 「寝てる。図太いよね。仕方ないから話は明日にしようか」 「そう、ですか」 「彼とは部屋が離れているし、君がここにいることは知らない。彼の部屋には鍵もかけてあるから」  そう言えば安心したのか、少し強張っていた肩から力が抜けた。山岡を案内して二階に上がり、明かりの点いている寝室へ案内する。きちんと整えられたダブルベッドが二つ。客間だ。間にチェストがあり、フランスから直接輸入したアンティークランプが煌々と輝いている。一時期祖父がエミール・ガレにハマり、コレクションを買い漁ったことがあった。これはその時の購入品だ。因みに別荘内にあるシャンデリアや花瓶、ランプの類は全てガレである。  長谷川は奥に続く部屋の扉が少し開いていることを確認して、そっと寝室の扉を閉めた。 「尚、どっちを使う?」 「え……?」 「ん? 何?」 「い、いえ。……じゃあ、こっちで」  一体どうしたのか、かなり強い困惑の表情だ。いつもは同じベッドで一緒に眠っている。別に同室でも問題はないはずだ。何が不味かったのか分からずにいると、山岡がシュンとした様子でベッドに入った。  なんだ。何をそんなに落ち込んでいるのか。何を間違えたのか考えるものの、本気で全く分からなかった。 (さっきのキスか? いや、だとしてもさっきまでいつも通りだった)  無駄に巡りの良い思考をフル回転させながら隣のベッドに入り、山岡の方を見る。すると、こんもり山ができていた。布団を頭まで被っている。しかも小さく震えており、長谷川は目を眇めた。まさか、体調が悪いのか。アレの副作用だったら最悪だ。 「尚、どうした? 具合悪い?」  焦ったようにベッドから飛び降り、布団を引き剥がす。出会ったのは、涙を流す山岡。あまりのことに言葉がない。長谷川は生まれて初めて血の気の引く音を聞いた。 「っ、ぅ……ぅう、っ」 「え……っ、な、尚?」  体を起こして抱きついてくる山岡に、長谷川は何がなんだか分からず目を瞠る。昔から自身の頭が高性能であることは自覚済みだが、こと山岡のことになるとてんで駄目だ。 「俺、俺……っ、ちょっと……ビックリ、しただけ、でっ」  しゃくり上げて涙する山岡が必死に説明してくれるものの、何を言っているのかが理解できない。 (マズイ。なんの話をしているのか、本当に……サッパリ分からない)  本気で焦る。心臓が嫌な音を立てて早鐘を打ち、額には冷たい汗が滲んでいた。 「いきなりお風呂で、は……裸だし……。キス、されてた、から」  拒んだわけではないと涙する山岡に、ようやく合点がいく。慌てて小さな体を抱き締め返して、罪悪感に顔を顰めた。山岡を隣のベッドに寝かせたのは警戒されないようにするためだったが、これがいけなかったらしい。長谷川は山岡の髪を撫でながら隣に腰掛け、涙に濡れた頬を拭う。 「尚、違う。拒んでない、驚かせた僕が悪いんだ」 「でも、怒って」 「どうしてそう思うの?」 「だ……って、一緒に、……寝てくれない」  大きな瞳から大粒の涙が零れて、長谷川は微かに目を見開いた。山岡をベッドに押し倒し、濡れる瞳を真上から見下ろす。年甲斐もなくドキドキしている心臓。手は汗ばんで、口の中も乾いている。  これは、まさか、そういうことなのか。間違いはないか。動揺も強いが、何より歓喜が隠せない。 「……尚。俺のこと、好き?」  一人称が猫を被ることを忘れていても、それを気にしている余裕はない。ほんの僅かな変化も見逃さないように、長谷川はジッと彼を見下ろしていた。ふわり、青白い顔が淡い薄紅色に染まる。首筋まで真っ赤になった山岡に、長谷川の鼓動が一段と早くなった。  真っ直ぐにこちらを山岡が見つめ返してくる。 「俺、鈍くて……。でも、そうなのかなって、ずっと……考えてて。本当は怖くて気付かないフリをしていたのかもしれないけど、……でも、さっき隼人さんに背中を向けられた時に自覚しました」  それは明らかな勘違いであったが、口を挟むような無粋な真似はしない。  そんなことより、聞きたい言葉があった。十数年待った言葉だ。胸が逸る。息が止まる。 「好き、です。俺……隼人さんが、好き、です」  ポロポロ、ポロポロ、綺麗な涙が眦を流れる。透明なそれをそっと指で掬い、長谷川はきつく目を閉じた。  細い体を強くかき抱き、奥歯を噛む。噛み締める。 「尚……、っ」
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