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ミステリーの女王アガサクリスティの小説には幾つかの謎がある。
そのことに気づかれた読者はいるだろうか。
オカルト的な結末、奇跡的な偶然、矛盾した現象、違和感のある言動、不可解なままに終わった伏線──これらは何を意味するのか。
物語を賑やかすための飾りにすぎないだろうか?
もちろんアガサクリスティの小説には天網恢恢疎にして漏らさずといった神罰的な結末──因果応報──もある。(※『狩人荘の怪事件』)
はたまた女予言者による警告が偶然の一致をみせることもある。(※『クラブのキング』)
これらは特に問題ではない。奇跡的な偶然は現実でも起こり得るからだ。
これから解こうというのは、矛盾した現象──もしくは違和感のある言動──の作品のほうだ。
少なくとも5つ以上の題材に見受けられる。
小説評論家は誰もそのことを言わない。恐らく違和感に100%の確信が持てないからだろう。
その不可解な言動の意味するものはオカルト的な暗喩なのか、それとも裏の真相を暗示するヒントなのか──このままでは100年経っても読者には伝わらない。
そこで拙筆ではあるが、裏に隠された真相を大胆に解いていこうと思う。
前振りは以上で──謎解きの1番手の題材は『呪われた相続人』(※ポアロ物)。
これを1番手に選んだのは謎の存在を名探偵のポアロ自身が教えてくれているからだ。
ヒントが具体的に明示されるので読者にとっても取り組みやすい。
事件そのものはポアロが完全に解決しているが、問題はラストの部分──。
そこを大まかに書き出してみよう。(※ネタバレ注意:正確な文章は本を見てください)
──犯人の夫は精神病院にいれられ、数ヶ月後に死亡した。
後に残された妻は1年後、夫の秘書だった男と再婚した。
長男は父親の莫大な財産を相続し、いまなお健在。
ヘイスティングズはポアロへ言った。
「君は一家の祟りをみごとに駆逐したね」
ポアロ「それは大いに疑問だよ」
ヘイスティングズ「なんのことだい?」
ポアロ「一語でこたえると“赤レッド”だよ」
ヘイスティングズ畏怖の念に打たれて言った。「血のことか?」
ポアロ「わたしがいっているのは、もっと平凡なこと······あの長男の髪の色のことさ」──
このポアロの言葉で物語は終わる。
この会話はいったい何を意味しているのか?
ほとんどの人は解かずに本を閉じたのではないだろうか。
もしくは赤い毛には呪いを退散させる迷信でもあったのかなと首をひねった読者もいるかもしれない──もちろん赤毛にそんな呪力はない。
それとも古典──クリスティはマザーグースやシェイクスピアの文章をしばしば引用する──の名文句の一部を暗喩として使ったものと読み取ってしまったのだろうか。
このラストの不可解な会話こそ裏の真相を明かすヒントなのだ。
──では解説していこう。未読者のために事件内容をざっと述べる。(※ネタバレ注意)
莫大な財産を持っている一家があった。
その一家にはある呪いが伝承されていた。
その家の長男はぶじに家督を継げず、つねに弟や甥たちに家督がまわるという──呪いだった。
ある日、その家の妻がポアロの家に助けを求めてきた。
ここ半年の間に三度も長男があやうく死にかけるので調査をしてくれとのことだった。
妻は一家の呪いのことも知っていたが、呪術師でなく名探偵ポアロのところへ依頼にきた。
その理由は、犯行が幽霊ではなく人間の仕業──蔦(ツタ)の茎の切り口が鋏(ハサミ)を使ったもの──であることを妻が確かめたためだった。
人為的な殺人未遂ということを知り、ポアロは依頼を引き受け、ヘイスティングズと共にすぐに屋敷へ逗留して警戒にあたった。
屋敷のメンバーは7人──夫、妻、長男(8才)、次男(6才)、子供の家庭教師(女)、夫の秘書(美男子)、たびたび泊まりにくる親類(陽気で若い男)。
その後ポアロとヘイスティングズは事件の発生を見越し、夜になって長男の部屋に隠れ、犯行直前に犯人(夫)を捕まえた。
捕まった犯人は一家の主(夫)だった。
この夫は以前、一家に伝わる莫大な財産を得るため呪いを利用して犯罪をおかし、家督を継いでいた。
当初は精神異常も小さかった夫だが徐々に悪化し、去年、自分が不治の病であることを知って頭が完全におかしくなった。
ついには夫は自分の長男に伝承──呪い──による死を与えることを考えるようになった。
──そして物語はラスト(上記に既出)へと続く。
【手がかり①】最後の場面でヘイスティングズは賛辞──「君は一家の祟りをみごとに駆逐した」──を贈ったが、ポアロは──「それは大いに疑問だよ」──と懐疑的な返事。
否定まではしていないものの、大いに異議ありといった見解だ。
いつもなら自画自賛も辞さないポアロが自身への称賛を疑問視している。
これをどう捉えれば良いのか?
ほぼ2つに大別される。
【選択肢1】呪いは血統的に継承されて再発するだろうからポアロは駆逐したわけではない
【選択肢2】別の人が呪いを駆逐したのであってポアロが駆逐したわけではない
このように【選択肢1】【選択肢2】と分類したまま、その後の経過を再び観てみよう。
ヘイスティングズはポアロが疑問視する理由を尋ねた──「なんのことだい?」と。
ポアロはヒントを出した──「一語でこたえると“赤レッド”だよ」と。
ヘイスティングズ──「血のことか?」と。
ここでヘイスティングズの考えは「血」──【選択肢1】“血統による継承で呪いは続く”──と受け留めたことが分かる。
しかしポアロは【選択肢1】を否定し、具体的なヒントを言った──「わたしがいっているのは、もっと平凡なこと······長男の髪の色のことさ」──と。
【選択肢1】が否定されたことにより【選択肢2】「別の者が呪いを駆逐した、だからポアロが駆逐したわけではない」──の比重が大きくなる。
ならば誰が事件解決の主役なだというのか?
【手がかり②】ポアロの最後のヒント──「長男の髪の色」
物語の中で髪について記されている部分をすべて抜き出してみよう。
長男の髪は“ウエーブしている赤褐色”と書かれている。
次男の髪は“母親に似て黒っぽい”との記述。
ここから母親(妻)の髪も“黒っぽい”と推測できる。
夫の秘書の髪は“ちぢれた赤褐色”と表記。
他の3人──夫、家庭教師(女)、若い親類(男)──は髪についての説明がない。
ここまでくると読者の中で感性の鋭いかたは気づかれただろう。
そう長男と秘書は同じ赤褐色の髪──つまり遺伝的な要素が見られるのだ。
長男は、妻と秘書(美男子)の間にできた不倫の子の可能性が俄然として高くなる。
夫が亡くなった1年後には、妻はこの秘書だった美男子と結婚した。
このことからも両者にはお互いに好意を持っていることが窺い知れる。
この美男子である夫の秘書は何歳で何年前から雇われていたかの記述がない──。
設定は無限に可能だが、大別すると2通り考えられる。
【仮設定Ⅰ】美男子の秘書は若くして──仮に25歳として──雇われ、27歳の時に財産家の妻との間に不倫の子供(長男)を儲けてしまい、その後も8年間(総計10年間)、秘書を続けて現在は35歳。
【仮設定Ⅱ】8年前に美男子──仮に27歳として──は、財産家の妻と不倫をして子供(長男)を儲けてしまい、数年前から夫の秘書として上手く一家に潜り込んで現在35歳。
秘書のまま不倫したのか、不倫した後に秘書になったのか──、どちらの設定にせよ8歳になる不倫の子供がいることは可能なのだ。
蓋然性として妻は長男が不倫で儲けた子であることを知っているはずであり、長男には呪いの血が無関係であることも断定できた。
だからこそ財産家の妻は犯人は呪いや幽霊ではなく実在の人間だと考え、蔦の茎の切り口──鋏による切り口──までチェックした。
そして解決策を必死に探し、ポアロのもとへ乗り込んだ。
そう、事件を解決──呪いを駆逐──した主役は『財産家の妻』だ。
ポアロはすべてを見通した上で、自分が主役ではないと感じたのだ。
──この考察のまとめとしてポアロの言葉を推測し、某探偵Pの発言として結びとしよう。
探偵P「この祟り──呪いという事件──を駆逐したのはわたしではない」
探偵P「あの一家の妻こそ事件を解決した主役だ、このPを探し求め、屋敷に連れてきたのだから」
探偵P「長男と秘書は同じ赤褐色の髪──つまり長男は秘書との間にできた子であって、呪われた夫の家系の血は全く継いでいない、妻は最初から呪いによる事件ではないと警戒して、勝利を掴んだのだ──」
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