ジプシーと私

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 メイドたちが廊下を歩きながら、ジプシーが公演しているといううわさをしていた。  私はそれを聞いて、彼女らを呼び止める。 「ちょっと」 「あ、エマお嬢様。すみません。私語をしてしまって」  メイドの片方――ジェニファーが恐縮して頭を下げ、隣のリンダも小さくなっている。  怒られると思っているらしい。  だけど、私は怒るつもりはなかった。  呼び止めたのは、ただ知りたかったからで。 「ジプシーってなあに?」  私の質問に、ふたりは顔を見合わせていた。  ふたりの説明によれば――ジプシーは民族の名前で、大半が旅芸人の集団ということだった。 「ジプシーは流浪の民ですので……。旦那様に言えば、行ってはいけないと怒られますよ」  リンダの忠告をありがたく受け取り、私はふたりと一緒に「町で買い物をしてくる」と父に言って外出を許してもらった。  そうして、私はドキドキする心を抱えて、最寄りの町行きの馬車に乗りこむ。  このあたりはイングランドでも、田舎のほうに当たる。  それなのにジプシーが立ち寄ってくれるのは不思議な話だ。田舎にしても、人口が多いからだろうか。 「ふたりは、ジプシーの公演を何度も見たことがあるの?」  私の質問に、ジェニファーが答える。 「ええ。何度もあの町に来ていますからね。いいですよ、ジプシーの歌や踊りは。どこかエキゾチックで」 「へえ……」  感心しながら、私は馬車の窓を見やる。  うっすらと、ふわふわの金髪と緑眼を持つ少女が映っていた。  私たちは町のすぐ外で馬車から降りた。 「公演はあっちだよ!」  私よりも幼い少年が、私たちを見てにこやかに誘う。 「ありがとう」  礼を述べると、彼は他にもきょろきょろしているひとを見つけては案内している。  ずいぶん目端が利く。  私たちは、示された方向へと向かった。  町の広場には仮設舞台が設えられ、椅子が並べられていた。  私たちが前のほうに座ると、ほどなくして椅子が全て埋まる。  後ろを見ると、立ち見客までいる。 (そんなにジプシーってすごいの?)  不思議に思いながらも、首を元に戻して公演の始まりを待った。 (まだかしら)  焦れたとき、舞台に三人の人物が上がってきた。  みんな浅黒い肌に、黒髪と黒目だ。  年老いた男性が、ヴァイオリンを奏でる。続いて若い男性がギターを奏で、年かさの女によるコントラバスがリズムを取る。  今まで、聴いたとのない音楽だった。  異邦のメロディやリズムに、ゾクゾクする。  そうして、誰かが軽やかに舞台に駆け上がって踊りはじめた。  私とそう年が違わないであろう、少年が。  速いテンポで回り、ステップを踏む。  鮮やかな舞踏に私は夢中になって――みんなと同じタイミングで、手が痛くなるほど拍手をした。  あっという間に公演が終わってしまった。  新鮮な体験にどっぷりと浸り、私がぐったりしていると、案内をしてくれた少年が帽子を片手に回ってきた。 「お嬢様。ここでお金を入れるんですよ」  リンダに指摘され、ハッとする。 「あ、そうなのね」  事前に聞いていたのに、すっかり忘れていた。  私はジェニファーとリンダから、相場である料金を聞いていたけれど――それだけでは足りないと思って、追加で紙幣を加えて帽子に突っ込んだ。 「こりゃあ、気前のいいお嬢様だ。また来てね」  少年は愛想よく笑っていた。  少年が行ってしまったあと、私はジェニファーを見やる。 「ねえ、また来てね……って言ってたけど、明日もやるの?」 「明日もやると思いますよ。ビラには日付が書いてありましたし」 「明日も、ぜひ行きたいわ」 「でも、それだと旦那様に怪しまれますよ。ジプシーはいつも、ここに一ヶ月は滞在しますし、もう少し間隔を空けていきましょう」  ジェニファーの提案はもっともだったので、うなずくしかなかった。  三日後、私はリンダと一緒にまたジプシーの公演を観にいった。  いつも三人だと怪しまれるだろうということで、ジェニファーは今日はお留守番。  私は今日も、ジプシーの音楽と踊りに酔った。  そして、前と同じように帽子にお金を入れたところで、ふと尋ねてみる。 「あの、一番最初に踊る男の子と話したいのだけど」  私の申し出に、回収係の少年は怪訝そうに眉を上げる。 「話したい? あいつが欲しいってこと?」 「え?」  戸惑ったが、おそらく言い間違いだろうと見当を付ける。  彼には訛りがある。ジプシーは独自の言語が母語だとリンダに聞いたし、英語が彼にとって外国語なら言い間違いも不思議ではない。 「ええ、そうね。【話したい】の」  強調して言ってみせると、少年は帽子を持つ手とは反対の手を差し出した。 「それは別料金だよ。当たり前だろ」 「……そ、そうなのね」  私は彼に紙幣を握らせた。 「あとでひとりで、天幕のほうに来て」  少年は、顎でジプシーの移動住居である天幕が並ぶ一帯を示す。 「わかったわ」  私がうなずくと、少年は離れていった。 「ちょっと、ジプシーと話したいの」  とリンダに言うと猛反対されたので、私は走って天幕の張られているところに向かった。 「お嬢様! 私が旦那様に怒られるんですよ!」 「黙ってくれればいいじゃない!」 「そういう問題じゃなくて……!」  リンダは、いきなり出てきた回収係の少年に止められた。 「あんたは、金を払ってないだろ。ここで止まって」 「ちょ、あのひとは……お嬢様ですよ。行かせるわけには」 「俺たちだって、金払いのいいひとは丁重に扱うさ」  少年の横から屈強な男が出てきて、リンダを羽交い締めにする。  わめくリンダに心のなかで謝って、私は天幕に向かった。  すぐに、あの少年が出てくる。 「……君が、ご指名の客? 本当に了解しているのか?」  彼にも、不思議な訛りがあった。 「え? ええ。話したいと言ったのは、私よ」  私の発言に目を丸くして、彼は天幕のなかに招き入れてくれる。  近くで見て、息を呑む。  端整な作りの顔。なめらかな褐色の肌。吸い込まれそうな黒曜石のような目。ゆるく波打つ漆黒の髪。  あんなに激しい踊りを踊るのに、今は静謐な印象をまとっていた。 「どうもなにか勘違いしているみたいだな」  彼は私から離れて、腕を組んだ。 「君はなにを話しにきたの?」  問われて、詰まる。 「ただ……あなたの踊りが素晴らしかった、と直接伝えたくて」 「それだけ? ……そう。ありがとう」  彼は破顔し、華やかな笑顔を見せる。 「君の連れがまだ騒いでいるし、もう帰ったほうがいい」  促され、私は天幕を出ようとする。  ふと、思い出して振り返った。 「あなたの名前は?」 「俺はミロス」  ミロス、と心のなかで繰り返す。 「君は?」  問い返され、私は少し緊張して答えた。 「私はエマよ」 「そうか。エマ。また来てくれ。俺と話すだけなら別料金は必要ないよ。あいつ――アンジェイに言っておくから」 「アンジェイって?」 「金を集めてくれる小さいやつだよ」 「ああ、あの子ね。……そうなの? そしたら、また来るわね」  私は高揚した頬を熱く感じながら、今度こそ天幕から出た。
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