ジプシーと私

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 それから、私は何度もジプシーの公演に足を運んだ。  リンダかジェニファーのどちらかが必ずついてきたが、ミロスが話を通してくれたらしくアンジェイはふたりも天幕に案内してくれることになった。  私が話す間、だいたいふたりは天幕の外で待っていた。  そして、公演の最終週――公演に、新しいプログラム――歌が三曲も加わって公演の終わりが遅くなった。  おそらく、それは聴衆への感謝を捧げるために……追加してくれたのだろう。  私は独特の節回しの歌に感動したが、ミロスと話す時間がほとんどなくなったという事実に焦った。 「お嬢様。今日はもう帰りませんと。日が暮れます」  ジェニファーが提案してきたが、私ははねのける。 「少しだけ、話したいの!」  もう、最終週なのだ。これを逃せば、千秋楽までは来られないだろう。  どうしても、ミロスと話しておきたかった。  優しいミロスは、私のつたない感想をいつも喜んで聞いてくれる。  私は回ってきたアンジェイの差し出した帽子にお金を入れて、頼んだ。 「今日も、会わせてくれる?」 「え? ああ……ミロスか。今、ミロスは客の相手をしてるんだ。予約が入ってたのに予定が押しちゃってさあ。少し待ってくれるなら、いいけど……遅くなるかも」  アンジェイの言葉は歯切れが悪い。  それに、よくわからないことを言っている。また、なにか言い間違えているのだろうか。 「待つわ」 「お嬢様……」  ジェニファーは頭を抱えていた。  アンジェイに案内され、暗くなってからも私とジェニファーは、天幕の近くにたたずんでいた。  ようやくミロスの天幕から誰かが出てくる。 「……ミロス」  私は近づいて、驚く。  出てきたのは、女性だったからだ。  それも三十をいくらか過ぎた、化粧の濃い女性だった。  不健康な青白い肌は、どう見てもジプシーではない。 「あんたが次の客? こんな近くで待たれると気まずいわね」 「……客って、なに」 「なにって――なにも知らないで、ここに来たの?」  女に笑われ、私はカッとなり――天幕に勝手に踏み入る。 「……エマ?」  雑多に置かれた敷物の上で、ミロスが身を起こす。  ミロスは掛け布団をかぶっていたが、なめらかな肩が扇情的に目に入る。 (……客って……)  そういうことか、と得心して後ずさる。 「さよなら!」  叫んで、私は踵を返して走り出した。  ミロスは、春を売っていたのだ。  最初、アンジェイが言ったのも間違いなんかじゃなかった。  私がミロスを欲しがっているというのは……そういう意味で、欲しがっている、と解釈された。  私は屋敷の自室に戻るなり、思い切り泣いた。  ベッドに突っ伏して泣きじゃくっていると、ジェニファーが背中を撫でてくれる。 「どうして泣くのですか? お嬢様」 「……汚らわしいものに感動してしまった自分が嫌だからよ」 「お嬢様。私も、ジプシーのことには詳しくありません。でも、みんながみんな春を売っているわけじゃない。あと春を売るのは貧しいからで、必要に駆られてですよ」  それに、とジェニファーは付け加える。 「ミロスはあなたがただ話したいのだと知って、嬉しそうに歓迎してくれたと仰っていましたよね。それが、真実では?」  なだめられても、私は納得できなかった。  最後の公演にも行く気はなかった。  だけど、日にちが過ぎるうちに行きたい気持ちが募って。 (あと一回だけ)  どうせ、それきり彼らは去ってしまうのだ。  私は心を決めた。  ジェニファーとリンダに頼んで、千秋楽に連れて行ってもらった。  ミロスは今日も最初に舞台に踊る役だった。  彼の踊りはいつも楽しそうだと思っていたけれど、どこか悲哀が滲んで見えるのは……気のせいだろうか。  ジプシーの音楽も、どこか物悲しく聴こえてくる。  今日はミロスとは話さず、去るつもりだ。  ただ、アンジェイに、「ごめんなさい」とだけ伝えてもらおう。  私が見る最後のミロスの踊りは――やはり、とてつもなく美しい。  汚らわしいなんて思った自分を恥じて、私は一筋の涙をこぼした。 (了)
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