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夜が完全に明け、松は昨日収穫したえんどう豆の麻袋を背負子に乗せ、ぼろ布で隠した。小倉にある闇市に売りに行くのに、官憲に見つかったら没収されてしまう。
松は、掘っ立て小屋と小さな畑を作った風師山の中腹から、小屋から見下ろせる焼け野原のままの市街地を悲しい目で見ながら、小倉に向かう線路へと降りて行った。
小倉まで12キロほど、重い背負子を背負い、まだ鉄道が復旧していない線路を歩く。
片足の松には、5時間ほどかかった。
小倉の闇市は人が多く、背中の荷物をひったくられたら追いかけることのできない松は、あたりを警戒しながら歩いた。
ぼろぼろのリックサックに、盗品と思わしい仏像を入れた復員兵らしい若者、缶詰めの入った木箱を大事そうに抱える中年男、闇市の商品をくすねようとキョロキョロしている汚れたランニングシャツの少年、闇市を歩く人々はみんな油断のできない目つきをしている。
松は今回は何事もなく、米軍払い下げの軍用糧食を売る天幕と、残飯を使って作った雑炊を食べさせる屋台の間の、やせたサツマイモを置いてある闇八百屋に到着した。
「お松さん、今日は何を持ってきたんだい?」
小声で話しかける店主の前に背負子をおろし、かぶせていたぼろ布を外す。
「ほう、えんどう豆かい? こんなご時世でも春は来るんやねえ」
店主は袋に計量枡を入れて、えんどう豆の量を測り始めた。
隣にいた店主の奥さんが、欠けた湯飲みに水筒から水を注ぎ、松へ手渡した。
松は一息にそれを飲み「ありがとう。生き返ったわ」と、今日初めて笑顔を見せた。
「佐世保に新しい復員局ができたんだってね。あたしも行って、124連隊の話を聞きに行こうと思うとるんじゃ」
松の息子と同じ連隊に徴兵された子を持つ奥さんは、話しを続けた。
「アメリカさんに捕虜になった軍人はどんどん復員しちょるちゅうに、イギリスに捕虜になったもんは、民間人以外は誰も帰って来ちょらん。生きとるのかもわからん。心配で辛らかよ」
「こないだ、従軍記者やったちゅうお人の話を聞いたんじゃが、捕まっちょるビルマのアーロン収容所ちゅうとこは、地獄やというとった。イギリスはシンガポールで、わが軍の捕虜の扱いに腹を立てよってからに、仕返ししとるちゅう話や」
計量を終えた店主が話に加わった。
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