私はニケでいたかった

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「ひよりって、感情そのままに生きてるタイプだよな」  『ルーブル美術館』と書かれた画集から顔を上げると、そこには憎たらしい幼馴染み、太一の顔があった。なんで、と強めの語気で聞く私に、いやだって、と被せ気味に続けながら私が手にしていた画集を顎で指す。ニカだっけ、いやニコか、そればっか見ててさっきから制作の手、止まっているように見えるんだけど、とあしらいながら私の手にあった画集をすっと取り上げる彼に、いや、私のことどれだけ見てんだよ、好きかよ、あとニカでもニコでもなくてニケ、サモトラケのニケな、と言い捨てる。彼は意外とちゃんとしている。島外で行われる展覧会用の絵画を既に描き終えていることも。爪が短く切り揃っていることも。普段、無糖のブラックしか飲まないのに、微糖の缶コーヒーを魔法みたいに取り出して、缶の口を開けて、私に手渡してくれることも。私はそんな彼があまり好きではない。 「あーあ。なんかぁさあ、盗んだバイクで走りだしたくない?」 「何?尾崎豊?てか、盗んじゃダメだろ」 「いや、そーゆとこ」  私はスチール缶を勢い任せに煽る。ちょっと零れる。最悪、と思いながら視線を落としたときに、中途半端に彫られた自分の石像彫刻が目に入って、最悪と、呟く。 「ねえ、もうこれで良いかな?」 「何が?」 「いや、私の作品」 「出来てないじゃん」 「いや、出来てるし」 「どこが?」 「未完成の芸術」 「ニケみたいに?」 「ニケみたいに」  乾いた彼の笑い声。私は聞こえなかったふりをする。いや、たぶんどちらかというと青春かも、という言葉は喉元あたりで、しゅわしゅわ溶けて、私の一部になった。取り上げられた後の、いい加減に置かれた私の画集のサモトラケのニケのページに書かれた無機質な文字列が目に入る。“ヘレニズム期の大理石彫刻。翼の生えた勝利の女神ニケが空から船の先へと降り立った様子を表現した彫像で1863年にエーゲ海、サモトラケ島で発見された。頭部と両腕が欠損しており、(右手は1950年に発見)ルーブル美術館にて所蔵…”のところまで読んで、なんかいっぱい書いてあるな、と思う。 「もう、終わる?」 「え?時間?」 「いや、ひより、手」  ひより、手、という彼の口から放たれた単語を頭の中で反芻する。わざわざ逆説の接続詞を用いるほどのことじゃない、という思案は右手の軽い痛みによって霧散する。  自己評価でキレイ系というより可愛い系だと思う私とサモトラケのニケの共通点は文字通り、腕がないことだ。とはいえ、ないのは左腕だけで、右腕は存在しているし、問題なく動かせる。ただ、右腕しか使えないので他の人より疲れやすい。物心がついた頃から周りと違うことは自覚していたから、もう慣れたものだけど。 「もう帰る?」 「帰る!」  彼は相変わらず、帰り支度が早くて。すれ違う瞬間、家庭用の柔軟剤と爽やかな制汗剤の香りがして。太一、おまた、いこっ、と言ってみたけれど、彼の目に私の顔はどう映っていたのだろう。
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