私はニケでいたかった

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-お前のせいであの人が死んだお前のせいだお前はなんで顔だけひよりに似ているんだお前はなんで左腕がないんだお前はなんで生きているんだその目は何なんだ    私がみよりだった時の記憶。血生臭い部屋に一人。飛んでくるのは、物と罵倒、たまにコバエ。漁師だった父は悪天候の中、船を出して、そのまま帰らぬ人となった。奇跡的に引き上げられた父の遺体は立ちこめる焼香の中、ロダンの『考える人』みたいに動かなかった。ああ、これが死か。私は幼いながらどこか達観していた。けれども、母はその「死」を目の当たりにしたことで正気を保てなくなった。その日から母は狂うようになった。 -ねえ、みよりちゃん。『シラノ・ド・ベルジュラック』って、知ってる?    暗闇から現われた少女はその名を「ひより」といった。私はその名に聞き覚えがあった。どうやら私と彼女は親戚という間柄らしく、確かに彼女の顔は鏡を覗き込んでいるかのようだった。もっとも、彼女はどちらかといえば、可愛い系というよりキレイ系で、五体満足だった。ともあれ、ここでの出会いを機に意気投合し、彼女は母の目を忍んで月に2,3回ほど訪れるようになった。二人でいろんな話をしたけど、中でも盛り上がったのは芸術の話だった。彼女は絵画に明るくて、私は彫刻に明るかったから、いろんな知識を共有してその度に盛り上がった。私が夜寝て、朝目覚めて、起きる理由は見つかったのだ。 -私たちは二人でひとつなんだ!  彼女が私にかけてくれた一番うれしかった言葉。だけど、この言葉が彼女の最期の言葉だった。彼女が来なくなって1ヶ月が過ぎた頃、みよりちゃん、助けてにきたよ、と知らない大人の人が私をさらった。「神隠し」という体で。 -あなたは今日からひよりとして生きるの  連れ出された明るい場所でひよりのお母さんから語られたのはひよりの死と、私がひよりに成り代わるということだった。左腕は水難事故で失ったことにして、その犠牲で太一が助かった。ただの腕なし人間を「サモトラケのニケ」に担ぎ上げるのには十分なシナリオだった。
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