私はニケでいたかった

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 世界が再び、回り出す。秩序と、残酷な現実を引き連れて。私は無言でその場から立ち去ろうとする。もう、私に帰る場所なんてないというのに。待て、背中越しから聞こえた声が私を呼び止めるために発せられたことに気がつき、ふわりと身を翻す。 「何で!なんで私を呼び止めたの!!!私は太一の思い出の中にいるひよりじゃないのに!!!」 「違う!!!」 「違くない!!!!!私はひよりじゃない!!!!!あの子にはなれないの!!!!!私は複製なの!!!!!だから、太一の隣にいられる資格なんてないの!!!!!」 「違うって言ってるだろ!!!!!そういうことじゃあないんだよ!!!!!あの日から隣にいてくれたのはみよりじゃあないか!!!その時間は本物だろ!!!それにみよりの中にあの日のひよりも生きている!!!死んじゃあいない!!!みよりが「ひより」という一つの原型から鋳造されたブロンズ像であっても!!!お前は本物なんだよ!!!!!だから!!!あと1回、「みより」として生きたいなら!!!俺の胸に飛び込んできてくれ!!!そしてお前自身の右手でその未来を掴んでくれ!!!」  全てを受け入れようと両手を目一杯広げた太一の顔から目をそらせずにいるのは、どうしようもなく、何もかもがだらしない私に居場所をくれたからで、それ以上のなにものでもなくて、溢れそうになる何かを、もう抑えきることなんて出来なかった。  私は太一の胸の中に飛び込む。腕が作り出す空間にすっぽり収まる。彼の体温と鼓動が伝わってくる。その温もりで、涙が止まらなくなる。右手の指を滑り込ませるとあの日の柔軟剤の香りと制汗剤の香りがして、一層、彼を近くに感じる。  差し込む夏の日差しはなぜだか少しだけ柔らかくて、遠くから聞こえる潮騒がセレナーデのように思えて、私たちはいつまでもいつまで抱き締めあった。
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