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顔合わせに病室に行くと、その人は、窓の外に向けていた視線をゆっくりこちらに向けた。お母さん! 思わず叫び出しそうになるのを、かろうじて堪える。
すっかり歳を取っていたけれど、見紛うはずがない。お母さん、お母さんだ。
『ご家族のことを忘れてしまって』
説明された言葉を思い出して、どう言葉をかけようか思っていると、はじめまして、と、その人のほうからあいさつされた。そして微笑みながら、言葉を続けた。
「鈴木 郁美です。あら、あなたも鈴木さん? お名前が、みやこさん? まあ! うちの娘と同姓同名だわ! うちの娘は、まだ5歳なんだけどね」
うちの娘! 忘れた家族は、私じゃなかった。そのことが瞬時にわかって、私の胸に熱く激しい何かが渦巻いた。でも、ここでお母さんと呼ぶことはできない。今のお母さんにとって、娘は5歳の女の子。こんなおばさんじゃない。
一呼吸おいて、
「そうなんですか? 偶然ですね。お会いしてみたいです」
とにこやかに言う。と、ぱあっと、花が開いたような笑顔を見せて、
「ぜひ会わせたいわ! 面白い子なのよ、私がへんな顔をするのが大好きでね」
「へんな顔?」
「そう! こんなの!」
もう一回見たいと、ずっと思い続けて来た、あの顔をしたお母さんが、目の前にいた。
何とか笑顔を作って、それから、あ、呼ばれてしまいました、また後で来ますね、と告げて、私は病室を飛び出した。それ以上いたら、きっと目の前で泣いてしまっていたから。
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