変身

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 それから私は日常生活というものの練習を始めた。病院の中でできることから始まり、ゆっくりと外にも出るようになって、半年経つ頃には退院の話まで出てくるようになった。それでもそのときはまだ一番弱いやつとその一つ上までしか使っていなかった。  けれど退院して、家族と暮らし始めるとそれだけでは足りなくなった。家族は動かなくてもいい、私が何かする必要はないと言っていたけれど、どうしてもそれが嫌だった。とりあえず外を散歩して、買い物をしてみようとした。それすら止められたから逃げた。外へ逃げて、このままじゃ追いつかれると一段階上げる。それに慣れて戻すけれど走る楽しさを知ってしまった。風を感じられるのは楽しい。  その日はそのまま帰った。次の日には袋とお金を持って買い物に行った。やっぱり心配そうにしている家族がついて来ようとしたので同じことをして逃げて、隣町のスーパーまで来た。そうして買い物メモの通りに必要なものを買って、荷物を持ち上げようとしたら力が足りなかった。スーパーの中ならカートが使えたけれど、帰るのには袋に入れた荷物を手に持って、走ってきた道を同じようにたどらなければいけない。そうしてもう一段階上げた。  そんな風にじわじわと必要な、楽しいことのために、足りない足りないと効果を上げていった。動くこと、動けることってなんでも楽しかった。それでも、言われた通りにあんまり長時間強いものを使わないようにしていた。けれどどうしても一番弱いやつでは少し動くのもこの機械がなかったころのように大変になってしまった。  私の身体が変わりないか、機械に問題はないかを見るために通院は続いていた。ハカセは言った。 「ちょっと君の身体が危ないかもしれない。今まで一番強いのは五回使ったんだよね?」  私は頷く。使わないかもしれないと思っていたやつももう五回も使っている。けれどハカセが言っていた通りに一回は一時間以内しか使っていない。十回まではまだまだ先なはずなのに。 「それじゃあ、あと一回だけ。多分それなら大丈夫だから、でももうそれ以上は使っちゃだめだから、最後に後悔しない使い方を選んで使っておいで」  私は頷いた。頷くことしかできなかった。まだまだ使えると思っていたのに。  そうして私は外に出て走った。全力で走った。この機械はドーピングのようなものだから競技とかには出られない。けれどこれで走ると世界記録よりもずっとずっと速かった。  二分くらい走ったころだろうか、急に足が動きにくくなった。足が重い。足が重いという表現は聞いたことがある、歩いたり走ったりして疲れたという形で。ということは私は疲れているのだろうか。今までこの機械でこんな疲れ方をしたことはない。ゆっくりと減速して立ち止まる。ピキ、と音がする。手を見る。何かが割れている。ピキ、パキと割れが広がっていく、崩れていく。立っていられなくなる。あと一回は大丈夫だって、ハカセ言ったのに。それに、この割れたものは何だろう。身体の表面全部が割れていく。割れたところから力が入らなくなっていく。  ここは住宅街の中の路地、そのうち人は通るだろうけれど今見える範囲に人はいない。誰か見つけてくれるだろうか。  ああ、まだ走りたかったな。
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