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五本の赤のラインの入った機体が、空高く飛び去って行く。しばらくその飛行機雲は、青い青い空から消える気配はなかった。
「行っちゃったね」
歌姫は落とした帽子をかぶり直しながら、つぶやいた。俺はああ、と短く答えた。
「本当に、いいの? …彼女は」
「いいさ。彼女は強いんだ」
無論彼女には彼女なりにそれを支えるものは欲しいはずだが… それは俺である必要は無いのだ。
「彼女は、強いんだよ」
「そうみたいだね。俺かなり怖かった」
「…お前も、かなり怖かったけどな」
そう? と奴は肩をすくめ、ゆらゆらと揺れる巨大な蔓や葉に向かって、すりすりと顔を寄せる。
「ごめんな、眠っていたとこ、起こしてしまって」
「眠っていた?」
俺は思わず奴に問いかけていた。
「この雪の下にさ、たくさんの何か生き物が居るからさ、ちょっと助けてもらおうと思って呼びかけたんだ。そしたら彼らが出てきた」
「出てきた、って… これ植物じゃ」
「何言ってんの、これの何処が植物なのさ」
こだわりの無い奴はこれだから怖い。ああそうか、と俺はやっと気付いた。
これが、デザイアだ。端末の言った、植物の形をした不定形生物。端末達コンビュータの、メカニクルの同類。
「…ああそう、また眠るんだ。ありがとう。お休み…」
歌姫の言葉に応えるように、するするとまた、デザイア達は雪の下にもぐっていく。そして春が来るまで、また眠るのだろう。…ああ全く。
帰ろうか、と俺は歌姫の背を叩いた。
痛い、と奴は抗議の声を上げた。
ざくざく、と再び雪の音が耳に届く。リズミカルなその調子に気を取られていると、不意に歌姫がこちらを向いた。
「…そーいえばさ、お前、チュ・ミンって名なんだよな」
「へ?」
「名前。お前の名、そういえば、俺ずっと聞いてなかった」
「そうだったっけ」
「そうだよ」
そう言えば、そうだった。別に言う必要もなかったからだと思うが、無くても平気だったことも事実だ。
「変な名だな」
「うるさいよ。これでもちゃんと親が意味を考えてつけたんだからな。祖先の国の言葉でちゃんと書けるんだからな」
「俺だってそうだよ。言葉がどうだか知らないけどさ、生んでくれたひとがつけたんだ。ハリエットって言うんだ」
「ハリエット?」
結構意外な名だ、と思った。だがその響きには、確かに男とも女ともしれないものがある。
「みんなはハリーとかハルとか呼んでた」
「ハル?」
「短いほうが呼びやすいだろ? 何か変か?」
「いや…」
俺は思わず苦笑する。そしてその苦笑は、次第に大きな笑い声へと変わって行った。
「…何だよ一体… そんなにおかしいかよ」
「…や、すまんすまん… けどなあ」
「だから何だよっ」
「…お前、春を探しに行こうって言ったよな」
「言ったよ」
「それなあ、その音。ハルって、あの失われた国の言葉で、春を意味するんだよ」
奴は足を止めた。
「…ホント?」
「本当。お前にここで嘘ついてどーすんだよ」
奴の顔がさっと染まる。それは最初に会ったあたりに、奴が言った言葉だ。俺はそんな奴の手を取って言う。
「ほら、春は、ここにあった」
奴の顔はますます赤くなる。そしてうめくような声で言う。
「お前言ってて恥ずかしくないか?」
ふふん、と俺は口元に笑いを浮かべると、奴の手をぐいっと引っ張り、そのまま肩に担ぎ上げた。
「何やってんだよ、下ろせってばっ!!」
わめけわめけ。俺はこいつを離す気はなかった。
端末は俺に言った。
それに、あなた達は増えませんから。
増えないから、彼らは俺達を見逃してくれるだろう。
この惑星の上で生きてくことを。お前の故郷での欠点は、ここでは美点だ。
でもまあ、そんなことはどうでもいい。
そして俺は言った。
「ほら行くぞ、ハル」
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