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第1話 のたれ死にだけは勘弁してくれ
寒い。
と目覚めた時、俺はまず思った。
麻酔のかかった頬に、大量の針が突き刺さっているようだ。
それもその筈だ。雪の中に、自分は顔を半分突っ込んでいるのだ。
顔だけではない。手も足も、柔らかで真っ白な雪の中に、ずっぽりと入り込んでしまっている。
他の部分は一応それでも服で覆われているが、顔だけはそうもいかなかった。
起きあがらなくては。
だが身体が、ひどく重かった。
でもまだ動ける。動こうとしてみた。
足が、手が、顔が、動く。動こうとしている。俺は動いてみる。
頭を上げる。まだ眩暈がする。
埋まっていた顔半分は、冷たく、ひどくこわばって、口の端を動かそうとしても、なかなか思うようには動かせない。
それでもゆっくりと腕を引き抜き、感覚の無いままに力をかけて上半身をも起こすと、ざらり、と肩から髪が落ちた。伸ばしっぱなしにしている、黒い、量だけは多い髪が、白い雪の上に広がった。
腕を引き抜いた穴を見ると、白い雪の中に、赤い染みが広がっていた。
何処かケガをしたのだろうか。ちら、とまだ力が上手く入らなくてだらりとぶら下がったような左腕を見る。
いや違う。俺じゃない。
確かに血が袖についているけれど、それは俺のものではない。服は破れてはいない。誰か、あの騒ぎの中で俺の前に立った誰かのものだろう。
そしてゆっくりと足をも引き抜き、立ち上がろうとした。
膝が硬くこわばって、曲げようとしても曲がろうとしない。力を入れようとしても入らない。入れ方を思い出せない。
とりあえず、今すぐ立ち上がることは断念して、その場に座り込んだ。
無駄かもしれないが、足の関節を、よくこすり始めた。そうすることによって、手も動かす理由ができる。手とつながる上半身の筋肉も、そしてそこからゆっくりと全身を内側から暖めることができるだろう。
そんなことをしながら、ゆっくりと辺りを見回してみた。何やらひどくまぶしい。
一応昼間らしい。とはいえ晴れている訳ではない。
空は薄い灰色のまま、低く雲がたちこめている。だが一面の銀世界、ただただ白い光景は、見つめていると、次第に目が痛くなってくる。
ポケットの中をかき回す。とはいえ、何かが入っている訳でもない。
そもそも。
頭を小さく振って、考える。
俺が何も持っている訳がないじゃないか。
―――灰色の空の中に、黒い煙が混じっている。それは背後の、船が落ちた場所から上っているはずだ。まだくすぶっているはずだ。そう簡単に燃え尽きてしまうようなシロモノではない。
そう、船は落ちたのだ。そして俺には、元々何も無い。
ひどく、寒い。改めて俺はそう感じた。ロクなものを着ていない。
どんな具合なのか、目が覚めたのは運が良かったのだ。おそらくは、ほんの僅かな間なのだろう。不時着した脱出船から放り出されてから、数分も経っていないだろう。
長い時間眠っていたら、そのまま永遠にお休みとなるところだった。
唇を噛む。それだけはごめんだった。
動かす手を速くする。次第に、手に熱を感じ始めた。必死でこする。ほんの少しの熱を、少しでも広げようとする。硬くこわばっていた筋肉が、ゆっくりとゆるみ始める。
だってなあ。
内心つぶやく。
このままではのたれ死にだ。
それだけは勘弁してくれ、と思った。せっかく生き延びたのだから、死にたくはない。
今はくすぶっている船が失速し墜落する中、俺が飛び出し、九死に一生を得たのは、護送船だったのだ。
捕まって、運ばれる途中だったのだ。
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