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 ショッピングモールのペットショップは、平日の昼間だというのに多くの客でにぎわっていた。小さな子ども連れのママと若いカップルが多い。  村重憲正(むらしげのりまさ)は豆柴のケースの前にしゃがんで「おい元気してたか?」と、手招きをした。  豆柴は村重に目もくれずにペロペロと水をなめている。 「おまえ、いつ売れるんだろうね」と言ったものの、本心では売れて欲しくなかった。買い手が見つかればもう逢えなくなる。すぐにでも連れて帰りたいくらい可愛くてしょうがないが、妻に反対されて断念していた。 「あなたが全部面倒みるならいいけど、どうせ私に押しつけるでしょ? だからダメです」  反論できる自信がなかったので、話はそこで終わってしまった。スマートフォンのアルバムのペロの写真も見せずじまいだった。ペロは村重が勝手につけた名前だ。  たしかに朝夕の散歩は大変そうだ。六十歳で定年退職して半年が経ち、今は好きな時間まで寝ている。起きる目的がないから仕方がない。ペロを飼ったところで毎朝早起きができるかといえば、百パーセントの自信はない。 「ペロまたな」と右手をあげて、昼食のためにフードコートに足を向けた。子連れのママさんと学生が多く混み始めていた。  四人がけのテーブルをダンヒルのセカンドバッグで場所取りして、ラーメンの列に並んだ。とんこつ味噌ラーメンと餃子セットがお決まりだ。妻の料理は味が薄くてどうにも物足りないから、ペロに逢いに来た日は、この店に寄るのが楽しみだった。  餃子セットを受け取りトレーに乗せてテーブルに向かっていたが、確保したはずのテーブルに高校生くらいの男子が三人座っていて途中で足を止めた。三人ともスマホに夢中だ。 「あれ……?」  席を間違えたのかと周囲を見回した。太い柱の近くで、空いていれば毎回あの席に座っている。間違えようがなかった。  すこし近づいて、遠目からテーブルの上に目をやったが、セカンドバッグが無い。そのまま右回りに足を進めると、テーブルの下にセカンドバッグが落ちていた。 「おいおい……」と、顔を曇らせてテーブルに近づいた。 「あのさ君たち、この席僕が取ってたんだけど」  トレーを持ったまま声をかけると二人が顔を上げた。 「え? 何も置いてなかったですよ、なあ?」  もう一人がうなずく。 「そこの、テーブルの下に落ちてるバッグ僕のなんだ。それを席に置いて食べ物を買いに行ったんだけど」 「そうなんですか。でもぼくらが来たときには置いてなかったです。なあ?」  もう一人がうなずく。 「いや……ふつう床にバッグが落ちてたら何だろうって思わないかな」  二人が困ったように顔を見合わせたとき、三人目が「老害ウザっ!」と吐き捨て、ガタガタと椅子を引いて立ち上がった。 「マジ老害うっぜー、なにハラだよ? ほか行こ!」  三人は村重からずいぶん離れたテーブルに移っていった。  村重は眉間に皺を寄せたままトレーをテーブルに置き、バッグを拾って手ではたくと、椅子を引いて腰を下ろした。周りの視線が気まずい。  早くこの場を去ろうと黙々と食事を口に運ぶも、 「オレは老害か? 間違ったこと言ったか……?」  同じ言葉が何周も頭を巡り、味がしなかった。  早々に食事を終えると本屋に寄って、文庫本を二冊買ってショッピングモールを後にした。
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