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8
有羽がぐったりするのを待った後、彼は胸に抱き、水中から上がっていった。
二人の全身をずぶ濡れにしていた水は、湖から上がった途端、瞬く間に紫黒色の霧となると、蒸発して消えた。
彼は、一番柔らかそうな腐葉土を選んで、有羽をそっと静かに横たえる。
「静かにしていろ」
彼は、細い両手をがっしり捕まえ、腐葉土の上で馬乗りになった有羽を押さえ込む。
「な、何を!?」
我に返った有羽が、声を荒げる。
「有羽、静かにしていろ」
有羽の声を制した彼の口調は、さっきよりもむしろ静かで、わずかに優しささえ含まれていた。
「……一体、どうゆう?」
「守るためだ、有羽を」
「え?」
彼は、有羽の輪郭をそっと撫でる。
頬から顎、首筋のほつれ毛を神経質そうな指先で彼が丁寧に這うと、華奢な鎖骨と肩の線があらわになった。
「さ、触らないで! 自分の名を名乗れないような男に、私は気安く触られたくない!」
有羽は、艶やかな感触に身震いしたが、それでも気丈に声を荒げる。
「……」
一見儚げで大人しそうに見える、温柔な容貌。
それなのに、想像のつかないほどの感覚。
美しい獣がまるで獲物を射るような双眸で睨んでいる、黒真珠色の瞳の激しさ。
彼は、深い目眩を感じて手を止める。
「本当に、どうゆうつもりだから!」
「……名か? いずれわかることになろう。今の時点、この姿はかりものだから知らないほうが有羽のためだ」
その声に我に返った彼は、困ったように肩を竦める。
「は? かりものってどうゆうこと?」
有羽は、訝しそうに眉根を寄せる。
「すべては有羽のためだと、言っておる」
「それでも、どうゆう?」
「力を抜け、有羽」
彼は、有羽の言葉を遮り自分の左手の人差し指を噛んだ。
流れてきた自分の血、それを口の中へすすってゆく。
「……」
有羽は、その様子に呆気にとられている。
彼は、剛勇無双の肢体を重ね合わせてきた。
「なっ!」
冷厳な紫黒色の瞳が、有羽へ迫る。
瞬時に、可愛らしい有羽の唇へ、彼は自分の唇を強引に重ね合わせた。
「んん……!」
有羽は、身動き取れずに身震いする。
あんまりな感触に耐え切れなかったのか、その黒真珠色の瞳は潤みだす。
一筋の涙がゆっくりと、有羽の柔らかな頬をつたう。
どうあれ有羽が口腔の奥へ注ぎ込む液体を飲み込むその時まで、彼は深く口づけて離さない。
有羽の喉が鳴り、喉奥へ飲み込んだのを確認した彼の唇は、ゆっくり離れたーー。
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