狡猾な男

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「主さん! なにをしんすか!? 離しなんし!!」 「そう言えば、男は離すとでも思ってんのか? そんなら、とんだ勘違いだぜ、雛菊。男はな、抵抗されれば、されるほど、手に入れたいと思うもんさ」  暴れる雛菊をなんなく押さえ込んだ宗介は、雛菊の両手をひとまとめに掴み、頭上の畳へとぬいつけた。 「いい眺めだな……、情を売らない花魁の初めての男になれるってわけか、俺は」  狂気の目をして恐ろしい事を宣う男に見下ろされ、雛菊の心臓が嫌な音をたて走り出す。どうにかして逃げ出さなければと焦れば焦るほど、思考は混乱し、何も考えられなくなる。  雛菊の顎をつかんだ男のザラザラとした硬い親指に、己の唇がゆっくりなぞられ、男の意図を察した時には、時すでに遅く、宗介の肉感的な唇に、唇を塞がれていた。  あまりの驚きに、わずかに開いてしまった唇から、容赦なく舌をねじ込まれる。歯列をこじ開け、口腔内を縦横無尽に動き回る舌の動きに、含みきれなかった唾液が顎を伝い、首筋へと落ちていく。  口腔内を犯す舌で、上顎を優しく叩かれたと感じた次の瞬間には、頬の裏側を強く押される。歯列をなぞっていた男の舌に、逃げ惑う己の舌を絡め取られ、強く吸われれば、ゾクゾクっとする痺れが背中を駆け登っていった。  どれくらいの時間、口を吸われていたのだろうか?  男と唇を合わせたことすらなかった雛菊には、口を吸われながら息をするなどという芸当出来るはずもなく、すでに脳は酸欠状態だ。離れていく男の唇をぼんやりと眺めることしか出来ない。 「はは、ははは……、まさか口も吸われたことがなかったなんてな」  仄暗い笑みを口元に浮かべ、嬉しそうに笑う男の言葉が雛菊に届くことはない。肩を上下に動かし、やっと口から肺へと入ってきた酸素を取り込むことで、脳はいっぱい、いっぱいだ。  生理的に込み上げてきた涙が、頬を伝い落ちていく。次から次へと流れる涙を、男の唇が吸い取っていくが、放心状態の雛菊は何も出来ない。 「雛菊、もう止まれねぇ。すまねぇ――って、聞いてねぇか」  雛菊の頬を宗介の手が撫で、その跡をたどるように唇が落ちていく。啄むように繰り返されていた口づけが顎から首筋へと落とされ、いたずらに喰まれれば、ジンっとした痺れが身体を駆け抜ける。  下へ下へと落ちていく唇と、時折感じるピリッとした痛みに、徐々に雛菊の意識も戻ってくる。そして、宗介に押し倒され、身体をまさぐられているという今の状況を脳が正確に認識した時、雛菊の脳裏を夕陽に照らされた『あの人』の横顔が過ぎった。  とうの昔に、帯は解かれ、打ち掛けも、その下に重ねた小袖すら暴かれ、紅色の長襦袢一枚という心もとない姿にされ、雛菊の目に涙が込み上げる。  死のうと思ったあの日、あの人に助けられたこの命。そして、赤珊瑚の簪に操を誓った。 (礼儀も知らぬ男に、散らされてたまるもんですか!!)  髪に刺していた黒漆の簪を手に取り握る。そして、己の肌からわずかに顔をあげた男の一瞬の隙をつき、簪を振り下ろした。 「――――危ねぇ。油断も隙もあったもんじゃねぇなぁ」  振り下ろした簪だったが、男の肌を傷つけることは出来なかった。つかまれた腕をキリキリと締め上げられ、痛みから握っていた簪が落ちる。畳の上をコロコロと転がる簪が、絶望的な状況を己に知らしめていた。 「なぁ、雛菊。そうやって、男を遠ざけてきたってか。ただな、そう何度もヘマはしねぇよ。それに、黒漆の簪じゃ、簪の方が折れちまう」  宗介が言うように、黒漆の簪を肌に突き刺そうと思っても、無理がある。簪の方が折れてしまうだろう。ただ、銀の簪だけは、持つまいと決めている。あの日、あの人を傷つけてしまった銀の簪だけは。 「黒漆の簪でも、脅しにはなりんす」 「確かになぁ。そんな殺気のこもった目で見られりゃ、男は萎えるわなぁ」 「なら、主さんもどきなんし」 「くくく、俺はなぁ、そんな脅しで引くような柔な男じゃねぇんだわ。覚えときな、雛菊」  そう言った男に、両手をつかまれ、唇を奪われる。唇を割りひらき、口腔へと深く入った舌に犯される。暴れようにも、完全に抑え込まれ、身動きすらままらない絶望的な状況に涙が込み上げ、頬を流れていく。 (このまま、なんの抵抗も出来ないまま花を散らされてしまうの。そんなの、嫌……)  心の中で、幼い雛菊が泣く。  最後の抵抗だった。口腔内を我が物顔で動き回る男の舌を思いっきり噛んだ。 「――――っ!! 雛菊……、やりやがったな」  口元を赤く染め、瞳に怒りを宿し、こちらを睨む宗介を見て、雛菊の喉がゴクリっとなる。口の中に広がる鉄錆の味に、わずかばかりに、胸がすく。怒りに任せ、ひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでも、なんの抵抗も出来ずに犯されるよりはいい。  花を散らされるのなら、艶然と笑ってやる。それが、花魁、雛菊の矜持。 「花を散らされようとも、心までは渡しんせん。主さん、さぁ好きにすればようござりんす」  雛菊は笑みを浮かべ宗介を見据えると、目の前の男に全てを委ね、瞳を閉じた。
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