遊女の矜持

4/4
前へ
/49ページ
次へ
 見上げた先に見た端正な横顔に雛菊の心臓がさらに大きく跳ねる。 「おう、雛菊。怪我はねぇか?」 「……えぇ。そんなことより、なぜ宗介さまが、こちらに?」 「あぁ、たまたま他の宴席に呼ばれていてな。騒ぎを聞きつけ来てみたら、見知った若い衆がいるじゃねぇか。そいつを捕まえて事情を聞いたら、おめぇが一人中にいるって言うからよ、慌てて襖を蹴破った次第よ」  あっけらかんと言い募る宗介の手がわずかに震えている。肩へと回された手から震えが伝わり、雛菊の心にいいようのない後悔が押し寄せた。 「……雛菊、あんま無茶すんな」 「ごめんなんし。ただ、花魁には花魁の矜持ってもんがありんす」 「そうは言っても、おめぇ殴らせるつもりだったろ?」 「いや、まぁ。あっちの顔一つで収まるなら、それは、それで……」  言葉尻が段々と小さくなり、雛菊は宗介から目をそらす。自分でもわかっているのだ。雛菊がやったことは悪手だったと。  後ろめたさを感じ逃げを打つ雛菊の心の内など宗介にはお見通しだったのだろう。肩へと置かれた両手が頬を包み、むぎゅと潰される。その子供じみた悪戯に外していた視線を雛菊が戻したとき、苦しそうに歪められた宗介の眼差しとかち合い、心臓がズキっと痛んだ。 「ふざけんな。もし、おめえの顔に傷なんかつけやがったら、俺はあの男を殺している」 「宗介さま。大袈裟でありんす」 「大袈裟なもんか……、だから頼む。無茶はしないでくれ」  頬を包んでいた両手が背中へと回り、雛菊の身体が抱き寄せられる。肩へとかかった重みと耳元で響いた震え声に、雛菊の心はきゅっと痛み出す。『頼む……』と絞り出すように発せられた宗介の声に、痛み出したはずの心に不思議な熱が宿るのを感じていた。 「宗介さま、約束いたしんす。もう無理は致しんせん」  雛菊は宗介の背へと両手を回すと、安心させるようにポンポンと撫でる。腕の力を強め雛菊を離しまいと身体を寄せる宗介に、雛菊の身体も火照っていく。その熱を心地よく感じていた雛菊だったが、若い衆の声に我に返った。  今は、宗介と抱き合っている場合ではない。畳の上に伸びている男を捕らえ、役人に引き渡さなければ。宗介と抱き合っているところを身内に見られた恥ずかしさに、雛菊は宗介の胸へと手を置き距離を取ろうと試みる。 「宗介様、もう大丈夫でありんす。離してくんなんし」 「雛菊、俺はこのままでも構わねぇぜ。いっそ、抱きあげて玉屋に連れ帰ろうか」  ニッと笑んだ宗介の顔に、雛菊の鼓動が速くなる。徐々に赤みを帯びていく顔を知られたくなくて、宗介から視線を外した時だった。さっきまで畳に転がっていたはずの男が起き上がっている。ゆらゆらと幽鬼のような面して立つ男の手元には、怪しく光る小刀が握られていた。 (――――っうそ!?)  血走った目をこちらへ向け走る男の存在に、雛菊の身体が動く。渾身の力を振り絞り宗介を突き飛ばした直後、胸に感じた強すぎる衝撃に雛菊は息をすることを忘れた。  暗い目をした男が笑いながら遠ざかる。そして、胸へと刺さった小刀が目に入り、視界が滲んでいく。ゆっくりと落ちていく身体を雛菊が制御することは出来なかった。滲んだ視界の先、雛菊の名を叫ぶ宗介の声を聴きながら意識は深淵へと沈んだ。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

197人が本棚に入れています
本棚に追加