覚悟

2/3
前へ
/49ページ
次へ
「菊花、ここに呼ばれんした理由はわかっているね?」 「あい……、姉さん」  上座へと座る雛菊の真向かい、畳へと座し両手をつく菊花を見据え、雛菊は煙管へと火をつける。  煙草が燃えるジッという音だけが響く部屋の中は、張りつめた空気が漂い、なんとも言えず居心地が悪い。  (よわい)十七の菊花は、あと一年もすれば水揚げを経て、一人前の花魁として認められる。 (なにを、焦りんしょうしたかね……。あっちに似て負けん気の強い菊花のことだ。他の見習い遊女に馬鹿にでもされんしたか)  まだあどけなさの残る菊花の顔を見つめ、雛菊は心の中でため息をこぼす。  花魁が世話する振袖新造(水揚げ前の花魁)は、遊女として一人前と見なされない代わりに、姉花魁の庇護を受け生活をしている。  床に入らないのはもちろんのこと、姉花魁の許可なく座敷に上がることもない。それは、まだ未熟な振袖新造を様々な悪意から守るためでもあった。 「菊花、あっちが怒っている理由がわかりんすか?」 「勝手に座敷に上がり、姉さんの顔に泥をぬりんした」 「確かに、あっちの顔に泥をぬりんしたのは事実だ。でもね、許可なく座敷に上がったことを怒ってるんじゃない。菊花……、一人で座敷に上がれる遊女とは、どんな遊女のことだい?」 「一人前の遊女のことでありんす」 「そうさね、一人前の遊女、自分で全ての責任を取れる遊女のことさ。お前さんに、その覚悟はあったのかい。酒宴の席を放り出して逃げ出した菊花、お前に」  瞳を大きく見開き固まった菊花は、次の瞬間には畳へと臥し、泣き出した。  張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、『申し訳ありません』と念仏のように唱えながら泣き伏す菊花の側へと寄った雛菊は丸く小さな背を撫でる。 「宴席に出ることも出来なかったお前の気持ちをくんでやれなかったあっちにも責任はある。ただな、庇ってやれるのも今だけ。ひとり立ちすれば、今以上に口さがない噂や甘い悪意に晒される。菊花、そんなものに負けん強さを持ちんさい。お前の代わりに宴席に残った、珠代花魁と鈴香花魁のような強さを」 「あい……」  絞り出すように発せられた言葉には、菊花の覚悟のようなものが感じられた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

160人が本棚に入れています
本棚に追加