かんざし

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かんざし

「――――おい、目さめたか?」  遠くから聴こえる優しい声に、意識が浮上し閉じていた目があく。抜けるような青空は、いつしか、茜色へと変わっていた。 「やっと、目が覚めたか。たくよぉ、心配かけさせやがって」  ぶっきらぼうに紡がれる男の声に、慌てて上体を起こす。どうやら泣いているうちに、男の胸を借りたまま眠ってしまったらしい。 「ごめんなさい!!」  濡れ縁から立ち上がると、深々と頭を下げた。 「いや、いい。疲れてたんだろうよ。まぁ、座れや」  自分を見つめる男の手が、板張りの濡れ縁を叩く。わずかに隙間を開け隣に座れば、男との距離にちょっぴり寂しさを覚える。 (こんなに優しくしてもらったのは、菊代姉さん以来かな……)  俯きつつ、隣に座る男を盗み見れば、精悍な横顔が視界に映る。キリッとした眉に、切長の瞳。夕陽を浴びてキラキラと輝く瞳がとても利発そうに見える。 (年はいくつくらいかな?)  自分より、五、六歳は上に見える。そんなことをぼんやりと考えていた雛菊へと、静かに男が語りかけた。 「死のうと思っていたんだよな?」  死のうと思っていた……  あの時、隣に座る男が手を出さなければ、私は確実に死んでいた。 「事情はなんとなくわかる。吉原にいる女の辛さは……」  止まったはずの涙が一つ、頬を伝い落ちていく。 「――――ただな、死んじゃ、おしめぇだ。この先、なにもねぇ。過酷な環境に身を置いているお前に、言ったって綺麗ごとにしか聞こえねぇかもしれん。でもな、生きてるだけで人生儲けもんなんだ」  男の言葉は綺麗事だ。男に、吉原へ売られた女の辛さなど、わかるわけがない。  男の優しさに癒された心が、どす黒い感情に覆われていく。
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