かんざし

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「いやだねぇ、しめっぽいのは……」  雛菊は、夕陽で赤く染まった空を見上げ、一つため息をこぼすと、欄干から立ち上がり鏡台の前へと座る。鏡の前へと座った雛菊の顔は、紅をさしてもいないのに、ほんのりと頬が赤く染まっていた。まるで、恋する乙女のように、潤んだ瞳が、妙な色気を醸し出す。  こんな顔で見つめられたら、どんな男でも虜になるだろう。しかし、この顔を雛菊が客の前で見せることは決してない。  鏡台の引き出しを開け、一本の簪を手に取った雛菊は、綺麗に結われた髪に、それを刺す。赤珊瑚の花咲く簪は、絢爛豪華な鼈甲の髪飾りに紛れてしまえば、とても小さく目立たない。しかし、この簪が、雛菊の『情』を守ってくれる。  あの人にもらった簪。この簪に、(みさお)を誓った。  今夜の客は、一筋縄ではいかない御仁だ。きっと、あの手、この手で『情』を奪いにくるだろう。  初回の酒宴を思い出し、雛菊の心に火が灯る。吉原のしきたりも守らず、初回で花魁に酌をさせるような無作法な男に負けてなるものか。  二回目の宴席『裏』まで飛ばし、『馴染み』になろうだなんて、馬鹿にしている。  大店の若旦那だか、なんだか知らないが、絶対に思い通りになどならない。 『雛菊花魁、お呼びでありんす』の声に、気を引き締める。お守りがわりの赤珊瑚の簪に手を触れた雛菊の顔が、一瞬紅色に染まる。 「行ってきんす」  そう言って、立ち上がった雛菊の頬にはもう、紅は残っていなかった。
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