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 あの夏祭りの日、歩はどこか遠慮がちに声をかけてきた。 『夏くん。今日の夜、花火見に行かない?』 『うん! 行く! 行きたい』  飛んで帰って親に尋ねると、歩ちゃんと一緒ならと外出の許可が出た。姉貴は友達と出かけるみたいで、俺たち二人だけで行くことになった。 夕暮れになって家に迎えに行くと、はにかんだ笑顔で浴衣姿の歩が出てきた。紺の生地に(あで)やかな牡丹の花が描かれていて、帯と下駄の鼻緒は赤で合わせてあった。アップにした長い髪から後れ毛がこぼれて、色っぽいなって思った。二十歳になったばかりの、いつもと違う雰囲気の彼女に、俺は子どもなりにときめいたのを覚えている。  でも   中一の俺なんか きっと弟以下だ 『行こ』  差し出された手を繋いで、二人で夜に紛れた。 河川敷はたくさんの人でごった返していた。歩は屋台で焼きそばを買ってくれた。夕飯にはとても足りなかったけど、彼女と二人きりでいられることに胸がいっぱいで、空腹も感じないほどだった。 やがて花火が始まった。間近で聞こえる打ち上げの音が肌を震わせる。夜空の華を見上げる歩の横顔が、赤や黄色に染まっていく。俺はいつしか花火よりも歩に見惚(みと)れていた。 視線を感じたのか、歩が目を合わせてきた。急なことで俺は見つめていたのを誤魔化しきれなかった。 『綺麗だね』 『う、うん』  言葉を交わしたのをきっかけに、俺も花火を見上げた。静かな風が吹く夏宵に次々と光が昇っていく。 ふと、右手に指が触れた。 俺が歩の手を握り返すと、二人で顔を見合せて微笑んだ。艶めいた唇が俺の名前をなぞった。 『夏くん。あたしね、夏くんのこと……だよ』  ひときわ大きな花火が上がり、肝心の彼女の台詞をかき消した。だけど、唇の動きを見なくても、欠けた言葉くらい俺にだってわかる。
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