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 吸血鬼騒動は一応の解決をみた。先日、記者会見を開いた都環境局の責任者は「被害がおさまったと考えている」と言った。多くの人にとってはそれでいいのだろう。 「おや、落ちこんでるの?」  昼時の吸血鬼研究室。実際、落ちこんでいるのでトモエはアゲハをにらんだ。吸血鬼を駆除できなかったことがひっかかっている。それと同じくらい、彼らを許せずにいる自分にもすっきりしない気持ちだ。 「あいつは食人鬼になって駆除されたのに、なんであいつらだけって思う。ずるい」 「そうね」  ミトラの判断は信頼している。吸血鬼の始祖が出てきた以上、彼に暴れられるわけにはいかなかった。竜は娘を守った。それは人から見れば利己だろう。それでも彼がいなければ解決できなかった。あれが最善だったはずだ。  けれど、なんの非もなく殺された者のことを思えば、泣き寝入りさせていいとは思えなかった。そこまでを考えて、トモエは自分の気持ちがわからなくなった。 「よくわからないもの相手に、一度でも話ができて、利害が一致して、取り引きができた。人間にとっては悪くない。……違う?」 「わかってるさ、そんなこと」  あの後、竜老公たちとコウのことは公にしないと判断された。「吸血鬼は消えた」ことにすると。少なくとも今はそのほうがよいのだろう。それでも、トモエは彼らがしたことを許せなかった。人を殺したなら、殺されても文句は言えないとトモエは思う。した側だけがやりなおせるなんて、それはずるい。 「なにが正しいかなんて、すぐにわかるものでもない。あるいは、正しくなくても人間の利益にはなるかもしれない」  それでもトモエは「それでいい」とは答えられない。アゲハは話題を変えてみた。 「クナドくんは落ちついた?」 「ん? ああ。サエさんが立ちなおってきたから。いや、クナドくんが落ちついたから立ちなおったのか? ともかく、よくなってきてる」  サエは以前のように息子たちをあれこれと叱るようになった。クナドは面倒くさいなあと言いながら、元気だった母が返ってきて嬉しいようだ。  クナドはちゃんと悲しんで、コウに怒ることができた。だから、傷ついたけれど大丈夫だと思う。クナドはあの後、病院に行って、しばらくサエの近くにいた。サエはそれで安心したのかもしれない。 「そう、それはよかった」  最後にコウに襲われた男の子は、むしろ吸血鬼に会ったことを自慢してまわっているらしい。逆に目撃した子のほうは嫌がって吸血鬼の話題を避けているのだと。怖がりかたは人それぞれだ。その癒やしかたも。 「ああ、都が被害者にいくらかの見舞金を出すそうね」 「へえ?」 「匿名で、『鬼害被害者に』って寄付があったって。金貨で。彼らなりに人間を理解しようとしているのかも」 「どうだか」 「それは私たちも同じこと。蚊でも細菌でも、研究して理解すれば人の役にたつ」 「人間のために利用すると?」 「生きていれば、どんなものだってそうでしょ?」  そこにドアの開く音がして、のんびりとショウケンが入ってきた。 「アゲハさん、出ましたよ」 「はい、ありがとう」  アゲハはショウケンから受け取った紙に目を落とす。にやりと頬が緩んだ。 「……アゲハさん、それなに?」 「アオさんの血を採ったから、一応の検査結果」 「へえ?」  そうか、吸血鬼や食人鬼とは違い、なりかけた人からは血がとれるのか。 「楽しそうだね……」 「楽しいわよ。血はその人の情報そのものだもの」 「吸血鬼みたいなこと言いますね」  ショウケンの冗談は笑えなかったが、トモエは黙っておいた。  ある日の「みなと」、ヒカルが壁に背をつけ座りこんでいた。コウもヒカルの横に少し離れて座っている。オクドさんが足をまたいできて、股の間で伸びをした。そしてのっそりと去っていく。 「……コウ、どっかいっちゃうんだね」  ようやく、ヒカルが口を開いた。じっと自分の腕を見る。生まれつきの赤いあざを、ヒカルは気にしてきた。自分が人とうまくつきあえないのはこのあざのせいなのかそれとも……そんなことを考える。 「オレはひとりだから、さびしくて、ダメなんだと思う。でもガルフは『ひとりはとてもいい』って言ってた。ガルフはアルがいるけど、それでも『ひとり』だって」  ひとりならずっとひとりのままのほうがよかった。アルのような友達ができたって、すぐにいなくなってしまうなら最初からいないほうがよかった。 「そっか」  ずびっと鼻をすすったヒカルに目を向けることなく、コウは答えた。 「ぼくもひとりなんだと思う。ぼくでいるのはぼくしかできないから、ひとりだ」  ひとつずつ、自分が思うことを言葉にしていく。ヒカルに伝わるように。 「それはさびしいことでも、ダメなことでもない。すごく……いいことだと思う」  ヒカルが顔をあげ、コウを見た。コウもヒカルを見る。その顔が、マンカラができなくて泣きそうだった顔と重ならなかった。ずっと年上の誰かに見えた。 「オレもひとりでいいの?」 「うん。ひとりでいいんだ。誰でもなくて、ヒカルはヒカルだから」  コウはバッグからキーホルダーを出し、腕を伸ばしてヒカルに渡した。ヒカルがそっと受けとって、目をまばたかせる。小さなクリアケースに入った絵は、夜空に浮かぶ金の満月のようだ。 「ぼくが描いた。ヒカルはいつだってガルフになれる」  空に月なんてなくてもヒカルはガルフになれるけれど、もし月が必要だっていうのなら、いつだってそこにあるようにと願った。 「……ガルフは『ひとりでいても、思えばいつだって誰かがそこにいる』んだって言った。思っても誰もいなかったけど、コウはいてくれる?」 「いるよ。きっと、そこにいる。ぼくのなかにヒカルがいるように」 「ほんとう?」 「本当。忘れてしまったとしても、そこにいるし、ここにいる」 「じゃあ、オレもコウを見つける。そしたらきっと、ひとりでいいって思えるから」 「うん。ひとりでも、ずっと一緒だ」  ヒカルの小指を小指でとる。ぎゅっとからめて固く約束した。 「アオ! アオ!」  カフェ「みなと」から帰ってくるなり、コウは叫んだ。靴を脱ぐのももどかしく、足がもつれる。「もう、おまえ、ちょっと落ちつけ……」。後ろから一緒に帰ってきたシガンが呆れたように言うが、コウは聞かずにアオのところに走っていった。 「お、どしたー?」 「アオ、ぼくはアオのとこに行かない。竜のとこに行く」  ヒカルと話していて思った。コウはひとりだ。でも、たくさんの人たちがコウのなかにいて、それは絶対になくならない。そう思ったら、どこへでも行ける。だから、すっと遠いところに行く。自分が何者であるかを探しにいく。 「……そうか」  アオはほっとしたような、晴れ晴れとして寂しい気持ちになる。コウはやりたいことを見つけた。まだそれはあいまいだけれど、彼がひとりで決めたことだった。 「ぼくは吸血鬼なのに、吸血鬼のことを知らない。だから知りたい。それで、たくさん見つけるんだ。ぼくと、ぼくのだいじなもののこと」  そうか、自分で選んだならそれがいい。アオが力づけるように肩を軽く叩くと、コウはまっすぐ見かえして大丈夫だとうなずいた。それからコウはユエンのほうを見た。どう言ったらいいかとちょっと考え、素直に伝えることにする。 「ユエン、ありがとう。ずっとそこにいてくれて」 「私がそうしたかっただけだ。おまえのためではない」 「うん。だけど、ユエンに『ありがとう』って言いたかったから、これでいいの」  神はなにもしなかったけどそこにいた。ユエンがいてよかったと思えた。 「書き終わったあ……」  それから数日、組合の机でアオは大きく伸びをした。最終報告を書き終わったところだ。コウと竜老公のことはふせ、一応の解決をみたとした。これでよかったのかはわからない。わからないが書きあがったし、これ以上の机仕事をしたくはなかった。 「まあ、これでいいだろう。あずかる」 「よろしくです」  ナヨシは印刷された書類を受けとって、ざっと目を通すと判を押した。  アオの右手は変形してかぎ爪になっているため、うまくペンを持てない。パソコンを使うにも不自由そうだ。右上半身が人ではないものに変わっているというのに、この男はなにも気にしていないように見えた。本人がそうなら、ナヨシからなにか言うことはない。 「いや、いろいろとお世話になりまして」 「俺たちは仕事をしただけだ。仕事を終えて酒を飲むとうまい、それでいい」  それもそうだとアオは笑った。 「俺、明日には戻ります。コウにも迎えが来ますし。……どうしました?」 「いや。来てもらって助かったと思ってな」 「そうですか。そら、よかった」 「ユエンさんにも伝えてもらえないか」 「ええ、ええ。伝えときますとも。ユエンさんもほっとしとるでしょう」  嬉しそうにアオは答えた。彼女のおかげで被害が少なくなった。竜と協力するにしても、ユエンがおらず直接渡りあわねばならなかったとしたら難しかったはずだ。 「我々は神に祈ればいいのだろうか?」 「……俺たちは、覚えていればいいんだと思いますよ」  公の書類には書けないことがたくさんあった。だから、覚えていようと思う。ときどき思い出し、彼らが彼らでしあわせであるように願う。  それでいい。そのはずなのに、アオは埋めようのない寂しさを覚えた。
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