人外の罪

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「もちろん、そうならないのが一番いいが、そうなってしまったというだけだ」  黙って聞いていたイチコが突き放すように言った。生き死にとはただ、そういうものでしかないと。善悪も因果応報もないというように。 「傷ついた野生動物に手を出したら噛まれるだろう」  イチコの無愛想な意見を、手で振りはらうようにトモエは拒絶する。 「じゃあ被害者が悪かったっていうんですか、そんなの……」 「そうではない。誰が悪い悪くないではないんだ」 「だったらさっさと殺処分するべきです。あいつだけ特別扱いする理由はない」  例えば映画で、ゾンビを指して「あの人はまだ生きている」と言って助けようとしたら、なにをバカなと思うだろう。今のトモエの心境はまさにそれだった。化け物なら、これ以上人間に危害を加える前に殺してやるほうがいい。 「そうですけど……でも、可哀想ですよ……」 「可哀想だ? それは被害者にはなにも関係がないだろう? 加害者に同情するなら、まっさきにおまえが殺されてやればいい」  眉を下げるモモカにトモエが息巻く。「化け物とオトモダチになるつもりか?」。 「だけど、人のように思考するなら人のように扱うべきです。人間だったら死刑にまではならないでしょう?」 「人間ではないのだから少年法も情状酌量もない。もちろん、罪にもならないが」  静かに横槍を入れたのはタカノリ。人のように見えても、あれは『人だったもの』だ。人ではない。生きた人間として扱うことはできない。 「そんな、結果的にうまくいけばそれでいいと思うんですけど……」 「そうであれば『人を殺した』という結果がすべてだろ。被害者は奪われたままなのに、あいつばっかり助けるなんて。そんなの、おかしいじゃないか」  犠牲者の結果は「死」だ。加害者だけが生きて結果を変えることができるなんて不公平だと思う。悪いことをしたら悪いことが起こってほしい。良いことをしたら報われてほしい。世の中が実際にそうではないからこそ、それを求めてしまう。 「人間でも人間でなくても、もうやらないならそれでいいじゃないですか。それでも駆除するんですか?」 「たかがひとりを殺したくらいでは、駆除する理由にならないって?」 「……納得できないのは被害者じゃなくて『トモエが』だ」  眼鏡をあげたナヨシの指摘に、トモエはぐっと詰まって歯を噛んだ。 「モモカさんも、あの子に感情移入しすぎている」 「人間に害だから殺すんですよ。人のような善悪からではない。ましてや可哀想は理由にならない。必要があれば殺すが、それ以上には殺さない。それだけです」  イチコはそう口にした。ヤスコさんがその足元に伏せ、おとなしく人間の話が終わるのを待っている。人の理屈などさっぱりわからないと言うように。人も犬の理屈などわかってはいない。それでも理解できるところとできないところの狭間で数万年を一緒に生きてきた。 「助かって悪かったということはないし、私は助けたい。もちろん、被害者のかたも助けたいし、助かってほしかったです。だから、次はきっと……」 「……おれたちがするのは防除だ。人が襲われなくなればそれでいい。その後のことは俺たちの仕事ではない」  ナヨシの発言に、トモエとモモカがうつむいた。実際、コウをどうするか決めるのは環境局であって彼らではない。こんなところで言いあったところで意味がない。それぞれ思うところはあれど、吸血鬼による被害を抑えるのが仕事だったはずだ。  沈黙に、相変わらず感情の起伏というものがないタカノリが口を開く。 「そのとおりですね。それで残っているのはどうするんです?」  あの土に潜る吸血鬼とその眷属の問題だ。見回りに出ているアオとシァオミンからは連絡がない。だいぶ進んだ時計をにらみ、ナヨシが頭を振った。 「今、考えるべきはそちらだろうな」 「コウくんは、吸血鬼として血を吸ってないんだね?」  質問は「吸血鬼」の話に移った。ヤマとカナヤは、コウについて今後の危険はなさそうだと判断する。もちろん、油断すべきではないし備えておく必要があるが。 「ぼくは吸血鬼になったって気づいてなかったから。そう、ユエンが言ってた」  コウは自分が「死んだ」ことに気づいていなかった。自分を吸血鬼だと思っていなかったため、完全な吸血鬼にならなかったのだという。だからこそ、ユエンは自分の助けるべき「人」と認識した。死にきれずさまよう人だから守ったのだ。  その一方で、おかあさんの言った金色の「吸血鬼」のように変化もしていた。そんな、ひどくあいまいな存在だった。 「吸血鬼が助けてくれるって『おかあさん』が言ったんだ?」  ユエンからの報告があって調べた。十月三十一日の夕方の浅草橋で、あるアパートが破壊された。住人の女性がひとり、今も不明だ。部屋には幼い子供がいる痕跡があったが、近所の人は誰もそれを知らなかった。十五年ほど前に赤んぼうの泣き声がしたかもしれないというだけだ。女性の戸籍にも子供はのっていない。 「うん。もう、あんまりよく覚えてないけど……」  こうなる前になにかできたらよかったとヤマは思う。もちろん、言ってもいまさらである。大人ならなんでもできるわけじゃない。間違うことも、忘れることも、知らないこともたくさんある。言い訳になるが、人が人を助けるのは大変なことだ。 「それで『おかあさん』は吸血鬼を呼んだんだね?」 「ぼくも一緒にいのって……そしたら吸血鬼が出てきた。ぶよぶよの……ねんどみたいで、目と口がいっぱいある……。たくさん手が伸びてきて、大きな口を開けて、牙があって……血のにおいがして……あとは、わかんない……」  思い出そうとしながら、苦しそうに話を打ち切った。それもそうだろうとカナヤは思った。あえて深く掘りさげて聞かなければならないことでもない。  目と口の多くある肉塊。やはり両国橋のあれが吸血鬼本体か。死体が残っていなかったことから、母親のほうは食人鬼になった可能性がある。 「そうだったんだ。いいよ、だいじなところはわかったからね」  ヤマとカナヤはちらりと目くばせをした。二人は被害者が彼にされたことに怒るのと同じく、彼のされたことにも怒っている。それはどちらも理不尽だ。 「聞かせてくれてありがとう、コウくん」  コウの名はユエンがつけたものだ。本当の名前はわからない。コウに聞いても「おぼえてない」と言うだけだ。彼の名前を知るものはもうどこにもいない。 「ほかに話したいことはあるかな? 心配なこととか、気になることとか」 「……ぼく、どうなるの?」  そうだな、それは心配だなとカナヤはうなずいた。だけど、彼に必要なのはそれじゃない。もちろんこの後、ミトラが決定して実際にそうなるのだろうが、自分たちだけで決めていいことじゃないと思った。 「そうだな、コウくんはどうしたい?」 「どう……」  コウは目をぱちくりさせた。そんなことを言われるなんて考えていなかった。 「きみをどうするかじゃなくて、まず、きみがどうしたいのかだ」  願ったことがすべて叶うということはないけれど、あれがしたいこれがしたいと思うのは自由だ。この子は自分で選ぶことができなかったのだとわかっている。人間には助けられなかった。それを助けられたのは神さまだ。  世の中には隠されているだけで、見ようとしないだけでさまざまなことがある。ひとつを助けられたなら、それでひとまずよしとすべきなのだろう。救われなかった人に恨まれたとしても。 「それが必ずうまくいくわけじゃないけど、自分からなにかをやりたいと思っていいんだ。本当にできるかはその後でいい」  ようやく個室から出てきたコウたちに視線が集まった。何事もなかったような顔で、ヤマがナヨシに聞く。 「ユエンさんは?」 「まだ戻ってきていない。吸血鬼の始祖と会っているそうだ」 「始祖? ……タカノリさん、どうする?」  タカノリはスマホをちらりと見た。 「このまま宇気比に報告しますよ。彼の処遇はこの件が解決するまで保留かと。それより宇気比がその始祖とやらと話がしたいと言っていて……」 「そうか。……ん?」  ヤマの背に、コウが隠れて身を固くしていた。なにがと思った後で気づいた。確かにコウには怖いだろう。タカノリは黙っていても人を責めているように見られる。単に生真面目で頑固者なだけなのだが。 「大丈夫だよ。このおじさん、顔は怖いけどそれほど怖くないから」 「いや……けっこう怖いと思うが」 「笑うと怖いな……」  ひきつった顔でトモエとナヨシが反論した。彼とはそれなりのつきあいだが、いまだに怖いと思う。 「え、え、笑うの? 水宮さんが? 見たんですか?」  モモカがとんちんかんな方向に進めようとするのを、カナヤが戻す。 「じゃあ、ユエンさんが帰ってきたら、コウくんは……」  そのとき、オフィスの扉が音をたてて開いた。入ってきたのが誰か、コウにはすぐにわかった。クナドだ。耳を赤くしたクナドはぶるりと震え、奥にトモエを見つけて入ってきた。 「トモエさん、なにかわかりましたか? こないだ吸血鬼が出たって……」  クナドが言い終わる前、コウは思わず駆けよっていく。言いたいことがあった。言わなくてはならないことがあった。それを言うことで、彼が悲しまなくなるならすぐにでもそうしたかった。 「クナド、ごめん。ごめ……」  彼はその一言で理解した。まさかと思い、そんなはずがないとずっと否定していたことに気づいてしまった。もう疑いようがなかった。クナドの目がつりあがる。 「おまえが!」  叫び声に、びくりとコウの動きが止まる。初めてクナドを怖いと思った。 「騙したな! どうして近づいた!」 「クナド、ねえ……」 「どの面下げて笑ってたんだ!」  あまりの剣幕にコウは後ずさる。クナドがそれを追いかけるように顔を突きだした。 「返せよ! いいから返せ! 母さんのなにが悪かったっていうんだ!」  傷つけられた母の足を、冒涜された尊厳を、平穏だった家族を、貶められた気持ちを回復させる方法を探して、コウににじりよった。コウはどうしたって返せないことがわかっていた。コウに差し出せるものなどなにもなかった。 「……ごめんなさい」 「うるさい、黙れ! 謝るなんて人間らしいことするな、気持ち悪い!」  クナドは我を忘れてどなる。いっそ、まったく理解のできない異形の化け物であればよかった。天災のように意思なくすべてを壊していくものであればよかった。それが人の形をして人の言葉を話すなんて。  そして反射的に手をあげた。そのとたん、ひゅっと輪ゴムが飛んでクナドの鼻にパチンと命中した。トモエだった。クナドの手が止まる。 「おい、クナドくん。ちょっとつきあえ」 「え?」  トモエは彼の肩に手をまわして、ドアのほうにぐいぐい押していく。 「ラーメン食いにいくぞ。メシ食い逃した」 「ラーメンって……なんであいつばっか助けるんですか……」 「そこの辛味噌ニンニク増しだ。行くだろ?」  クナドは答えなかったが、おとなしくトモエに肩を近づけた。一度も振り返らず出ていく。そのままドアが閉められ、階段をおりていく音が消えていった。 「ごめん……」  後に残されたコウがか細い声でつぶやいた。言えたのに届かなかった。 「別に許さなくたっていいし、許されなくていいと思うけどな」  カナヤが「うまくいかないもんだ」とコウの背を軽く叩いた。クナドは吸血鬼を許さないことで自分を守っている。コウにはコウの事情があったが、それを被害者が汲みとらなければならない道理はない。 「謝ろうとしたのは伝わった。そうだろう? だから、できることはもうない。あっちは彼の問題で、こっちはコウくんの問題。それぞれ解決していこう」  ヤマが窓の下を見る。トモエがクナドと肩を寄せあっていた。怒らなければ納得できなかっただろうが、やりすぎれば彼自身がもっと傷ついただろう。 「大丈夫、おれたちはクナドくんも助けたいと思うよ」 「おや。なんだ、どうした?」  オフィスの隅の影からぬるりと人型が現れた。ユエンだった。 「ああ。……いろいろあった」  ナヨシの説明は説明になっていなかったが、ユエンはたいしたことではないというようにうなずいた。 「そうか。竜の小童が人間と話をしたいと言った」 「わらし?」 「やつらは竜老公と呼ぶか。ようは吸血鬼の始祖だ」  始祖、吸血鬼の親玉か。そいつが人間になんの用があるというのだろう? 「人間とだって? えらいやつがいいか、都知事とか。もっと上?」 「えらくなくていい。吸血鬼のことがわからんやつに言ってもしかたがない」  カナヤが冗談めかして言えば、ユエンが真面目な顔で一蹴した。 「……じゃあ、やっぱりミトラさんか」  宇気比ミトラは都の吸血鬼担当だが、責任者ではない。けれども、彼にまかせれば大丈夫だと誰もが思った。彼が必要と判断すれば上にもあげるだろう。ともかく、彼ならば頭ごなしに対応しようとはしない。 「では、そいつを呼んでくれ。例の吸血鬼を倒さねばならん」
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