決着、そして

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決着、そして

「人間の情念、ね。なにがあったか聞いてもいいのか?」  ミトラが小声で耳元の小さな蛾……竜老公に問う。ほかに聞くものはいない。ナヨシから一時撤退させたとの報告があり、一夜木がゆっくりと掘りおこされていた。 「あの子は我と三番目の妻との間の子だよ。人の戦争があったころだ。彼女は人間に振られたようだった。振られたと言うのは、つまり、恋愛感情を相互に持っていると思っていた相手に、その感情がもうないと告げられたという……」 「ああ、わかるよ。振られてどうした」 「その当時、吸血鬼とは敵国や敵軍を指す言葉でもあった。ただの人間が吸血鬼だと告発されることもあった。自分に都合の悪い相手を呼ぶ言葉だったんだ。振られたのが実際、そのためだったのかはわからない。だが、彼女は父が吸血鬼だということを気にしていたようだ」  強い風の音だけがそれに答えた。コウは少し離れたところで絵を見ている。 「しかし死ぬ寸前の子を『あれ』は吸血鬼にした。あの子は……自分が人間であったことをのろった。愛しく思っていた相手を殺し、母を殺し、友人たちを殺した。人間であることを捨て、より『吸血鬼』らしくあろうとした。だから我は彼女を封じた。木槍で貫き、放り投げて落ちたのが、偶然ここだったというわけだ」 「あの木がそれか」 「そうだ。槍は木になり、地中に彼女を封じこめた。しかし、たくさんの人の情念を引き寄せてしまったようだ。情念のほうもまた、自分たちの思いをなしてくれる相手を欲していた。それで、あの子は他人の情念に飲まれて自分自身のことも忘れてしまった。ただ人をのろうだけのものになった……」  隅田にある学校の校庭。ミトラから連絡があり、ヤマは地面に血をまいた。そのとたん、大きく揺れて地割れが起こり、肉塊が現れた。乾いた肉の間から目と牙がのぞく。それは血をすすりながらそこにいる人間を見つめた。  同時に、夜空からアオが到着する。  牙の間から肉塊がほえた。ヤマとモモカは手を切り落とし、さらに増える腕を叩き切って、アオが動く空間を作る。アオは槍を持って突き刺し、飛び回っては手を切り落とす。あちこちで腕が塵になって消えていく。肉が切られるたび、それは悲鳴をあげた。人のような悲痛な叫びだ。  一瞬、たじろいだモモカに手が迫ってくる。ヤマが駆けよって剣で切りこんだ。つかみかかる手を受け流し、剣を振りあげてまっすぐに切りかかる。切ったそばから伸 びてきたのを跳ね上げ、切り裂いた。モモカが息をのむ。 「いくぞ、モモカ」 「はい!」  モモカは気を引き締めなおすと薙刀を振るい、他の手に切りかかる。  腕を貫かれ、引きちぎられて、肉塊は嫌がるように震えた。めちゃくちゃに手が振りまわされる。ヤマが柄頭で腕をからめて引きずりおろし、そのまま打ちはらう。モモカが巻くようにいなして下から薙ぎはらい、返す刀で切り下げた。  肉塊は特にアオの槍を嫌がるように身をよじる。上から勢いよくふってくる槍を止めようと一気に手を伸ばした。腕をいっせいにアオに向ける。  アオが手に飲み込まれないよう、ヤマとモモカが腕を切り飛ばす。  モモカの動きが少し遅れたところに、腕が狙って飛んできた。とっさに薙刀で受けるが、刃がうまくたたなかった。衝撃に手がしびれて取り落としそうになるのをぎりぎりで握りなおす。そこに数多くの腕が押しよせた。  発砲音。ヤマが右腰の拳銃を抜いて撃った。銀弾が手にめり込む。そこから先の手が塵になって弾け、ぱらぱらと落ちた。次から次に向かってくる手を、モモカが落ちついて切り下ろした。ヤマが左手の剣で振りはらう。  腕が切られていくなか、アオは肉塊から離れて上空へと飛んだ。そこに多くの腕が勢いよく突きあがっていく。まるで太い肉の柱のようだ。  その様子を、イチコは校舎の窓から見つめていた。上へと伸びた腕たちのつけ根、ややくびれた一点を狙う。腕の動きに呼吸をあわせ、引き金を引いた。  そのとたん、破裂音がして腕の根元が吹っ飛んだ。伸びきった腕がバラバラになって落ちてきて、塵となって舞い散る。  塵のなかをアオの槍が肉塊に吸い込まれていく。重力にまかせ、肉の中心を刺し貫いた。腕いっぱいにざっくりと振りぬく。肉塊はいっぺんに塵に変わった。  すぐにアオが飛びたった。地上ではヤマがスマホをとる。ここでやるべきことはやった、次で決まる。 「来るぞ」  ミトラが張り詰めた声でつぶやいた。木の根はきれいに掘りおこされている。作業員はすでに遠くへ行っているはずだ。  ぐらぐらと地面が揺れる。まともに立っていられない。土の匂いがむせかえるほどに立ちのぼる。地面が割れ、不吉な音をたてて一夜木があった穴が口を開けた。  ずるりと大きな肉塊がはい出てくる。これが本体か。それが抜け出た穴をさっと陰が覆いかくした。ユエンが地中に戻れないよう塞いだのだろう。  上空からおりてきたアオは見た。肉塊の内に、別のものがいることを。食人鬼の目はこの吸血鬼によってもたらされたものだ。主人を判別することができるらしい。  すうっと静かに息を吸う。長く吐き出しながら、アオはそれに狙いをつける。次の瞬間、上方から槍を繰りだした。  肉塊のあちこちで見開かれた目がアオに気づいた。腕がうねりをあげてアオに襲いかかる。空中で槍をぶん回して手を切りとる。塵のなかを他の腕に切りかかり、打ち落とす。  手が追いかけてくる。襲いかかる手をかわし、上から斜め下に切り落とす。散らばる塵が広がって見えなくなる間に、手と手の間に入りこんで本体の表面に槍を突き刺した。「中身」を傷つけないように。  刺したところがぼこりと盛り上がり、切られた場所に大きな裂け目が現れた。それは口だった。そのまま牙の並んだ口をアオに近づけ、飲み込もうとする。槍を振るうが手が回り込んで逃さない。 「アオ!」 「コウくん!」  たまらずコウが飛び出した。ミトラが思わず手を伸ばしたが、そのときにはもう届かないところにいた。コウは走った。まるで飛ぶように駆け、肉塊へと向かう。 「おまえが!」  肉塊が視界に現れたコウを見つけた。その目は四色をしていて、それぞれの方向からコウをとらえて逃がさない。アオに向かっていた手が、ゆっくりとコウのほうに向きを変えた。しかし伸ばされたその手はコウをするりと避けていく。 (いまさら、わたしにどうしろっていうの? もうやりなおせないのに。それならわたしはこれでいい。このままでいい! 望まれたようになったのに!)  ここでひるんだらずっと動けなくなる気がして、コウは叫んだ。 「おまえはなんだ!」 (そんなのわかんない! わたしにはなにもないんだもの!)  コウはずるいと思った。自分を守るために他を傷つけるもの。ずるくて汚くて弱くて嫌なやつ。そんな自分は大嫌いだ。でも、コウはかっこよくなりたかった。 (なんにも意味がないなら、全部なくなっちゃえばいいのに!) 「ちがう! みんな、だいじなものだ!」 (わたしの子なのに、どうして逆らうの? わたしを裏切るの?) 「ぼくはおまえじゃない! おまえの言うことなんて知らない、聞かない!」  それは怒っていたけれど、どこか寂しそうだった。コウによく似ていた。でも、コウとそいつは違う。どれだけ同じところがあったとしても、決して同じにはなれない。  だから負けるつもりはなかった。言うとおりにしてやるものか、思い通りになってたまるかと牙をむいた。そのとたん、いくつもの手がコウをおおった。  思わず動こうとしたミトラの肩を押さえたのは竜老公。いつのまにか人間の男の姿になっている。雪はすでにやみ、雲の合間に星が見えていた。夜明けがくればユエンの広げた陰が弱くなってしまう。この肉塊を、再び逃すわけにはいかなかった。 「コウは、血のまじないに抵抗したのだな」  竜の血にかけられた、血族を攻撃できないというまじない。それがコウの叫びとともに少しだけ弱まった。コウは自分の人生を進みはじめた。だから、それを妨げるものを拒絶した。たとえ血のつながるものであろうとも。 「……いいのか?」 「大丈夫だよ。コウはきっとうまくやるさ」  竜はかわいい娘を否定できない。だから、ここから先は竜ではできないことだ。  肉塊の手を振りはらったアオが飛んできて、コウにからみつく腕を切りとった。コウは投げ出されて地面を転がり、また立ちあがる。青い目に虹が浮く。距離感を狂わせる色。手はまたコウに向かってきたが、見失ったように空をつかんだ。 「ぼくは大丈夫! だから……」  引っかきに来た手を体をずらして避けたアオ。そのまま横から槍を当てる。混乱したように暴れ狂う手を蹴りあげるように位置を変え、左手の槍で薙いだ。  腕が反応したところをアオは右手の爪で引きちぎる。左手で槍を抱え、手がからみついてくるのを受けとめ、右手を伸ばして掻き切った。  アオの右手も吸血鬼の影響を受けたものだ。吸血鬼は眷属を攻撃できるが、逆はできないはずだ。それが切ったということは、伸びてくる手は吸血鬼本体ではない。人の情念そのものである。  アオは肉を引き裂き、内部の本体をあらわにしようとする。腕についた目がコウを探している。コウは肉塊から離れたところに立って、しっかりと肉塊を見すえた。 鮮やかな虹色が浮かぶ。「こっちだ」と言うように距離感をねじ曲げる。  そちらに向かって一気に腕が走った。手がからみあったひとつの腕になってコウを取り込もうとした。……遅い。アオが深く身を沈める。  大きく膨れあがった手が本体と離れたのを見て、アオは一瞬にして踏みこみ大きく切り上げた。そのとたん肉がはがれ、塵になって舞いあがった。あっけなく、それは深い闇に消えていった。
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