亜美【四】

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亜美【四】

 まるで実の兄妹のように育った私たちは、この関係が永遠に続くのだと信じて疑わなかった、と思う。少なくとも中学生までの私は、そう思っていた。そんな私たちの関係に亀裂が入り始めたきっかけは、三人の足並みが揃わなかった高校進学だった。  私と智也が県内有数の進学校に揃って入学したのに対し、勇輝はお世辞にも学力が高いとは言えない公立高校に入るのがやっとだった。新しい生活に追われて顔を合わせる機会が減った私たちは、これまでのような結びつきを急速に失っていった。  私たちが小さい頃から一番楽しみにしていた年中行事は、夏祭りの夜、三人だけが知っている秘密の場所に集まって一緒に花火を観ることだった。花火が打ち上がる海岸付近は、地元住民だけでなく市外からの見物客も集まりごった返すため、私たち子供の背丈ではあまり楽しめない。そこで私たちは毎年、交通の便が悪く、地元の者にもあまり知られていない、花火会場から少し離れた小さな砂浜に陣取って花火を眺めた。その砂浜は、穏やかな潮風と波の音以外は何もなく、じっくり花火を堪能するにはうってつけの特等席だった。  私は高校生になって最初の夏、その砂浜に行かなかった。その年は智也と勇輝の二人だけで、終始押し黙ったまま花火を観たそうだ。そのときの状況を夫に訊ねても、ほとんど記憶に残っていないらしく、難しい顔をするばかりで何も答えてくれない。空虚な花火鑑賞の原因を作った私にこんなことを言う資格はないのだが、その夜はよほどつまらなかったのか、もしくは思い出したくないような出来事が二人の間に起こったのかもしれない。  そして一年後、高校二年生になった私たちは、誰もあの砂浜に行かなかった。あの頃の私は、高校が違う勇輝とはすっかり縁が切れていたし、学校で智也を見かけても声さえかけなくなっていた。そんな私に対して智也は、私を忠実に映し出す鏡になる選択をしたようだった。  私が会釈をすれば彼もそうするし、気づかなかったふりをすれば彼もふいと背を向けて、気づかなかったふりをする。智也という鏡は、子供時代からの脱却を望んでいた私の自立心を大いに奮い立たせたが、一方で大人になることの苦々しさをこれ以上ないくらい煮詰めて、私の喉に流し込みもした。良くも悪くも、智也は昔からそういうところがある。相手の意思を尊重しようとするあまり、互いがそれ以上踏み込めない強固な壁を作ることになってしまうのだ。  大人になる過程で、誰もが一度は経験する幼い日々との決別。そんなありきたりな成長の一場面に、いちいち感傷的になどなっていられない。当時の私は、そういった内省や言い訳さえも必要ないほどに、十代の一番きらびやかな時間を謳歌し、食べ過ぎとわかっていながら平らげたスイーツを後悔するときのように、胸を激しく掻きむしってもいた。  このまま私たちの仲は、幼少期の淡い思い出となって緩やかに自然消滅していくのだろう。当時の私はその予感をすっかり受け入れてしまっていたし、他の二人も私ほどではないにしろ、目の前の現実を黙って飲み込んでいたに違いない。その証拠に私たちは、高校入学から高校三年生のあの日まで、一度も集まったりしなかった。だから私があの日の直前に送ったテキストメッセージは、幼馴染との約二年ぶりの接触だったことになる。  高校最後の夏休みが間近に迫った頃、私は智也にメッセージを送った。用件は至ってシンプルで、夏祭りの花火を昔みたいに三人で観ようという提案だった。メッセージを読んだ彼は、さぞ驚いたに違いない。幼馴染の絆を真っ先に断ち切った私が、再び過去の関係に目を向けるなんて思ってもみなかっただろうから。  私たちが花火を観るために集まっていた砂浜は、花火会場から徒歩で三十分ほど西へ行ったところに緩やかな弧を描いて広がっている。花火の全景を一目で眺められて、しかも私たちの他には誰にも知られていない絶好の穴場だ。  小学生の頃は、砂浜に寝転んだり波打ち際に足を浸したり、無駄話に大笑いしながら花火を見物するのが何より楽しかった。そんな浮かれた有様だったから、花火に集中しているのは最初と最後の十分間くらいものだ。あとの時間は夏祭りの興奮と、この日だけは許されていた夜遊びの高揚感にすっかり酔っていただけだったが、それでも充分幸せだった。  どれくらいはしゃいでいたかというと、普段は物静かな智也があれほど大きな声で笑うのはこの日だけだったし、勇輝に至っては暑いと言って全裸になり、干潟の上を這い回るトビハゼのように湿った波打ち際で寝そべったりしていた。  もちろん私はそんなことはしなかったが、家から缶ビールをくすねてきて浜で飲んだり、タバコを吸ってみたりしたことはある。当然、少しも美味しくなくてすぐに捨ててしまったが、私のはしゃぎぶりが他の二人と比べてかなり大人びていたことは間違いない。そういう見栄っ張りなところが後の騒動にも繋がってしまうのだが、このときはまだ自分の欠点や弱さになんて小指の先ほども気づいていなかった。  小学六年生のときだったと思うが、勇輝は花火の雰囲気にすっかり舞い上がって、私に「大人になったら結婚しよう」と軽口を叩いたことがあった。どこまで本気だったかは知らないが、あのときは私も上機嫌だったし、花火の感動も相まって暢気に「別にいいけど」と返事をしてしまった。花火が終わって帰宅し床に就くと、変に胸が高鳴ってなかなか寝付けなかった。今思えば、あの言葉に答えた瞬間こそが、思春期真っ只中だった私の初恋だったのだろう。  私と勇輝のたわいのないやり取りを聞いていた智也は、すぐにぎょっとした顔を私に向けた。そんな彼にどんな言葉をかけたのかは、よく覚えていない。記憶にあるのは、濃厚な潮の香りと涼やかな波のさざめき。その他には、今が夜だということを忘れるほどの花火の眩しさだけだ。
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