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二十九 カノのこと
結局、清は「帰る」と言い出すことは出来ず、そのままアフターの流れになってしまった。
ガチガチに緊張して、右足と右手が一緒に出ているのを、カノは気づいていたが指摘しなかった。その代わり、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。
「キョ、キョウハドウスルノッ?」
緊張のあまりカタコトになる清に、カノがプッと吹き出した。笑われたことに気恥ずかしくなって、真っ赤になって唇を結ぶ。
「香水あげるって言っただろ? うちにいこう」
「う、うん……」
「店であんま飲んでないよな。家で飲み直すか?」
何気ないカノの提案に、清は身を乗り出して大きく頷く。
「うん! うん、飲み直そう!」
その分、アレな時間が先延ばしになる。ハッキリとNOを突きつければ良いのだろうが、それでカノが離れてしまうのは嫌だった。
最初は、一度きりだと思っていた関係が、ズルズルと延びていき、今ではセフレみたいな感じになっている。ホストがエッチまでして繋ぎ止めるような客は、払いの良い客だろう。清はそれに該当していないので、カノの気まぐれか、清の何かが気に入っているのだろう。今さら、嫌われたくはなかった。
いずれ、この歪な関係は、失くなってしまうのだろう。けれどそれを、自分の手で終わらせたくはなかった。
◆ ◆ ◆
カノのマンションに来るのは何度目だろうか。部屋の匂いを吸い込んで、清はそんなことを思った。生活感のある部屋は、カノがここで暮らしているのだと実感する。コロコロが壁に立て掛けられて居るのを見て、カノも掃除をするのだと感慨深い気持ちになった。
「カノくんって、普段はなにしてるの?」
とは、ふと浮かんだ疑問だった。カノの身体のことは隅々まで知っているのに、彼のことをなにも知らない。
清の言葉に、カノはグラスにウイスキーとソーダを注いでハイボールを作りながら「ああ」と相づちを打った。
「仕事の日は、色々やってるうちに一日終わるからな。洗濯したり掃除したり、買い物行ったり」
「普通だ」
「悪いか?」
カノが普通に暮らしていることに感動したのだが、カノはそうは受け取らなかったようだ。慌てて否定する。
「休日は、まあ、見たかった映画消化したり、色々」
「ホスト仲間とは遊びに行ったりしないの? 北斗くんとか」
「北斗とぉ?」
心底嫌そうに顔をしかめるカノに、清は笑いながらハイボールを啜る。
「昔はそう言うこともあったけど、今はな。若いのが増えたし」
「そうなの?」
「ああ。昔は、オレが下だったから、ユウヤさんとかアキラとか、あちこちつれ回された。あと、前のオーナーとか」
「オーナー、変わってるんだ」
今のオーナーは、ホストであり支配人のヨシトが担っている。彼は内部業務が忙しいらしく、ほとんど店には顔を出さない。清が見かけたのは、私服デーの時だけだ。
「まあ、前のオーナー、まだ裏オーナーなんだけど」
「えっ、なにそれ。どういうこと?」
裏オーナーという響きに、好奇心が沸き上がる。カノは少ししゅん巡したあと、「清くんなら、良いか」と切り出した。
「うちの店、元々はバックにヤクザがついてたんだ」
「えっ?」
カノの告白に、清は驚いて目を丸くする。ヤクザとは、あのヤクザだろうか。
「萬葉町はそういう店もあるって聞いてたけど……」
「みかじめ料払って守ってもらってるような店じゃなくて、マジでヤクザが営業してた店。フロント企業ってヤツ」
「うわー……」
なんと言って良いか解らず、曖昧に返事をする。
(マジか。あれ、でも、元々?)
「そのヤクザが足洗って、店からも手、引いたんだ。で、ヨシトさんが引き継いだ」
「そうだったんだ」
「とはいえ、オレも含めて初期メンはその人の舎弟みたいなもんだったからさ。裏オーナー扱いで繋がってんの。経営はガチで関わってないよ」
「えーっと……、カノくんは、ヤクザって、こと……?」
恐る恐る、問い掛ける。まさか、ヤクザでホストだったのだろうか。カノは笑って、首を振る。
「いや。構成員じゃないよ。『ブラックバード』はマジでクリーンな店」
「そ、そうなんだ」
つまるところ、オーナーはヤクザだったが、経営は真っ当にやっていた店ということか。だからこそ、ヨシトに引き継いで営業を続けられて居るのだろう。少なくとも、法的に問題のない店ではあるのだ。
「そんなわけで、知ってるヤツは知ってるから、萬葉町ではちょっと顔がきくわけ」
「あー、なる」
カノに初めて会ったとき、『ブラックバード』のホストと聞いただけで相手が立ち去ったのを思い出す。半グレ程度の相手であれば、関わりになりたくないと引いてくれるのだろう。いまはヤクザと関わりがなくとも、名前はまだ有効ということだ。
「なんか、驚いた」
「……怖い?」
「んー、少し。でも、カノくんは、ヤクザじゃないんだし、いまは店も無関係なら」
驚いたのは本当だが、怖いとまでは思わなかった。カノの方が、やや緊張していたように思える。
「カノくんは、怖くない」
「……なら、良いけど」
カノはそう呟いて、ハイボールを呷った。
「カノくんのこと、ちょっと知れて嬉しい」
「は。悪ガキで、クソガキだったけどな」
その物言いに、クスクスと笑ってしまう。
「どんな子供だったの?」
カノのことを、もっと知りたかった。
「良くある話だよ。母親はソープ嬢で、父親は誰か解らなかった。だから、早いうちにグレて、ヤクザになりたかった」
カノは思い出すように、グラスを覗き込む。琥珀色のウイスキーに浮かぶ氷が、カランと音を立てた。
「萬葉町を仕切る佐倉組ってとこは、ヤクザのクセに真っ当な連中でさ。ガキがなにを言っても、相手にしてくれねえの」
「はは。なんか、硬派なトコなんだ」
「そ。で、悪ガキどもでつるんで、ケンカしたり、色々やってるうちに――前のオーナーに会った」
「……例の、ヤクザさん?」
「ああ。その人はこの辺の人じゃなくて、関西のヤクザでさ。ヤクザっていうより、兄貴って感じの人で、悪ガキが増えた感じ」
カノは言いながら、口許に笑みが浮かんでいた。そのひとを慕っていたのだと、良く解る。
「だんだん、仲間が集まって、それで、『ブラックバード』が出来た。オレはまだ十六だったから、年齢誤魔化してだけど……」
「楽しかったんだ」
「――ああ。楽しかった」
懐かしむような顔は、いつものホストの顔じゃなくて、何となく、年相応の青年の顔をしていた。清は、この話を聞けて良かったと思った。カノを構成する、カノを作った人との関わりだ。
全てが、愛おしい。
「ちなみにそのヤクザ、今は高校教師してる」
「ヤバ。カッコよ」
どういう経緯でヤクザが高校教師などやっているのか知らないが、そんな人が自分の担任だったら、ちょっとワクワクしてしまう。
「今度来店することがあったら、清くん紹介しても良い?」
「え? 俺?」
「兄貴みたいな人だからさ」
「う、うん……」
兄のような人に、自分を紹介するというのは、どういう心境なのだろうか。その真意を探ることが出来ず、清はチビリと酒を啜った。
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