夏休み

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夏休み

夏休みの楽しみと言えば人それぞれだ。 光雄は昆虫採集で隆彦は海水浴。 陽子ちゃんは裁縫で紗江ちゃんはディズニーシー。 そして僕と美月ちゃんはレールだった。 だから毎年、夏休みに入ると決まって2人でラジオ体操が終わった後に、時間を決めてとある場所に向かった。 ラジオ体操が終わって直ぐに行く事もあったけど、大体は夕方が多かった。 何故ならその頃には陽射しに熱せられたレールも僅かにその熱が冷め始めて来るからだ。 だからと言って直接、レールに耳をあてるのは火傷するから、僕達は各自ペットボトルに水をいれて持って来るようにしていた。 その水をレールにかけて冷やしてからレールに耳をあてた。 レールの周りに敷き詰められた石の熱さも気にならない程、僕達は耳を澄ました。 遠くから電車の車輪の音がレールを通し僕と美月ちゃんの耳へと伝えてくる。 僕達はその音を聞きながら電車に乗っている人達を交互に想像した。 美月ちゃんは決まってJKの事ばかり言い、僕はハゲのおじさんとデブのおばさんの2人が同時に乗った駅から同時降りる駅まで、ずっと席を取り合い続けていると言う。 そう言うと美月ちゃんは決まって笑い出した。 それはしばらく続き、つられて僕も笑い出してしまう。 そして音が大きくなると僕達はレールから離れ通過する電車を近くから眺めた。 これが僕達2人の夏休みの楽しみだった。 だけどある日、約束の時間を過ぎても美月ちゃんは現れなかった。 ラジオ体操の時、わざわざ僕の分のペットボトルの水までくれたのにどうしたのだろう。 僕は余ったペットボトルの水を飲んでから身体を横たえた。 レールに耳をあて、電車の車輪の音に耳を澄ました。 レールも丁度良い熱さで石や砂利も温かい。 僕は目を閉じると気持ちよくて眠くなって来る。 その時、普段聞いている車輪の音とは違う音が聞こえて来た。特急?快速?新幹線?ううん。ここは新幹線は通らないからきっと特急に違いない。 「遅くなってごめん」 声がした方を振り向くと茶色の大きなタオルケットを背負った美月ちゃんが立っていた。 直ぐに僕の側に来てレールに耳をあてた。 「どうしたの?」 「風邪っぽいの」 そういう美月ちゃんの肩にかかったバスタオルをなおしてあげた。 「宗介君も一緒に入って」 美月ちゃんに言われ身体をすり寄せた。 大きな茶色のタオルケットを頭から被った。 バスタオルの中の世界で僕達は2人きりだった。 「特急かな?」 「私、快速だと思うよ」 「そうかなぁ」 「宗ちゃんは、目を開けてるからわかりにくいんだよ。目を閉じたら集中出来て聞き分けられる筈だよ?」 僕は言われた通り目を閉じた。 するとタオルケットと美月ちゃんの身体の温もりとレールと石の温かさで眠くなった。 数秒も経たず僕は眠ってしまった。その眠りの中にでもレールの音は聞こえていた。 どんどん車輪の音が大きくなっていく。 すごい迫力だった。そんな迫力のある快速電車に乗っているのはどんな人だろう? 美月ちゃんはいつものようにJKだっていうのだろうな。うん。確かにJKも乗っているし、ハゲのおじさんもデブのおばさんも乗っていると思った。 僕が2人の事を話そうとすると、美月ちゃんは知らんぷりをして茶色のタオルケットから抜け出して行った。 そして僕が美月ちゃんから貰ったペットボトルを掴むとレールから離れて行った。 夢の中で僕は美月ちゃんに向かって叫んだ。 「行かないで!」 けれど美月ちゃんは僕の声を無視してどんどん離れて行った。そして草むらの中にしゃがみ込んだ。 でも、その2つの目だけは横たわる僕をジッと見つめていた。 僕は身体を起こそうとした。出来なかった。 眠いし身体が重たかった。手足に力が入らなかった。 夢なのか現実なのか僕には区別が出来なかった。 車輪の音が大きくなる。騒音からゴォォォという轟音に変わった。 直ぐ近くに快速が、迫っていると思った。 美月ちゃんが草むらから身を乗り出した。息を飲んだように見えた。 瞬間、快速電車の車輪が僕の頭の上を通過した。 顎から下の身体がへの字に曲がり宙に浮いた。 頭蓋骨が砕け血飛沫が舞って快速電車の車輪を赤黒く染めた。 美月ちゃんの顔が、驚きと喜びの入り混じった笑顔に変わった。僕にくれた筈のペットボトルを掴んだまま、草むらから逃げ出すように走り出した。  僕は轟音で駆け抜けていく快速電車の音に紛れた自分の悲鳴が遠ざかっていくのを遠くから聞いた気がした。 車輪によって頭と分断されたへの字に曲がった僕の幼い身体は快速電車の風圧によって一瞬だけ宙に浮いて、快速車両のドアのガラス窓にぶつかって、そこを血で汚しながら、石が敷き詰められた線路の上へ落下した。 その拍子に2、3度、地面で跳ねて美月ちゃんが隠れていた草むらに近い場所まで転がり、止まった。 長い間、僕がこうなる事を思い描いていたのは、きっと美月ちゃん1人だけだ。だってここ数年の夏休みの中で美月ちゃんがペットボトルの入った水を僕にくれたのは初めての事だったから。 きっと美月ちゃんは決めたのだ。 今年こそは。今年こそはと。 それに水はお互いに持ち寄るのが暗黙のルールだった。 1つのペットボトルじゃレールを冷やすのに足りないし何回も電車の車輪の音を聞く事が出来ない。だからそれまでの夏もお互いが用意して来ていた。 でも今日は違っていた。毎年のように夏休みに入ると僕と一緒にレールに耳をあて近づいてくる車輪の音にワクワクし胸を高鳴らしていると信じていた僕の気持ちとは別な世界で、美月ちゃんは電車が近づいて来るのをワクワクして待っていたのだ。 その為に僕にペットボトルをくれたのだった。急に眠くなった事が不思議だったし理由はわからないけど、その時美月ちゃんは既に僕の頭と身体が分断される様を思い描いていたのかも知れない。 それはきっと何年も前から計画されていて、だから美月ちゃんは今年の夏休みは今まで以上に楽しみにしていたのかも知れなかった。 転がって止まった分断された僕の身体にへカラスが舞い降りた。皮膚から抉り出された潰れかけの顎骨をカラスの嘴が啄んで来る。全く嫌な奴だ。 僕は強力な力によって空中へと引っ張られながら自分の惨たらしい死体を眺めた。お父さんやお母さんが悲しむだろうなぁ。そんな風に思いながら、僕は快速電車が通過したレールが少しだけその熱を宙へと放出し始めるのと同様に、生という熱が冷え切って行くのをただただ待つしかなかった。 今頃、美月ちゃんは家に戻り僕の死に様を見た喜びに浸りながら出迎えたお母さんに向かって「ただいま」といい笑うのだろう。お帰りなさいと笑顔で迎え入れられた美月ちゃんのその手には僕にくれた筈のペットボトルが、すっかり中身が空にされた状態で握られているに違いなかった。 了
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