冬(葵編)

1/1
前へ
/17ページ
次へ

冬(葵編)

 子供の頃、かくれんぼが嫌いだった。大人数がいる中で、存在感の無い私を誰も見つけてくれなかったらどうしようという不安と恐怖を震えながら膝を抱えて待つだけで、何が楽しいのか分からなかった。静かな茂みの中で流れる雲を眺めて時間が過ぎるのを待っていた時、シャボン玉が飛んでいることに気付いた私は、空高く上がっていくシャボン玉に釣られるようにして茂みから出てしまった。 「葵ちゃん、みっけ!」  楽しそうな声が聞こえる方へ体を向けると、シャボン玉を作るおもちゃを持って微笑む円歌がいた。「綺麗だから出て来てくれるかなって思った」って。大声で帰るフリをしておびき出そうとするとかズルい方法じゃなくて、こういう無邪気なことをして見つけようとしてくれる円歌と仲良くしたいと思った。かくれんぼが私に与えた一人で隠れる寂しさは、円歌によって見つけてもらう喜びに変わった。 「――どこでそんなの見つけて来たの」 「んー?スーパーにあった」  平日のお昼過ぎ。人が少ない公園でゆっくりできるのは大学生の特権かもしれない。二人で近所のお店でランチをした後に散歩をしていると、円歌が公園に寄りたいと言い出した。ベンチに並んで座り休んでいたら、円歌がカバンからおもむろにシャボン玉のおもちゃを取り出したのだった。 「葵、吹いて?」  どうやら自分でシャボン玉を作る気はないらしい。やけに荷物が多いと思ったら。ちゃっかりカメラまで持ってきている。 「いいねぇ~」  言われた通りシャボン玉を吹いていく。円歌は楽しそうだけれど、私は久しぶりにシャボン玉が現れ、そして消えていく様を見て、その儚さに切なさを感じていた。 「こんなに簡単に割れちゃうんだ」  綺麗なものってどうして儚いのだろう。触れてしまえばもう、こうしてすぐに消えてしまう。 「葵?」  きっといつもみたいに無表情でいたのだろう。カメラのファインダーから目を離し、円歌が心配そうにこちらを覗いている。 「もういい?」 「……うん」  再びベンチに座り、今度は円歌がシャボン玉を吹いていた。私は横に座り、ただそれを眺める。 「こういうの懐かしいかなぁって思ったんだけど……楽しくなかった?」 「んー……ノスタルジックな気持ちってこういうことなのかなって噛み締めてた」 「シャボン玉にそんな思い入れあったの?」 「……うん、良い思い出」 「へぇ~。どんなの?」 「かくれんぼしてた時に円歌に見せてもらった思い出」 「え?そんなことあったっけ?」 「えぇ?覚えてないの?」  あの頃の私は円歌にとって、たくさんいる友達の中の一人でしかなかったと思う。だから覚えてないのも仕方がない。忘れられてしまえば私にとっては大事な思い出も、円歌にとってはシャボン玉と同じように儚く消えてしまう。しかし私にとって円歌は唯一と言っていいほどに心を開いていた人で……あの頃の幼い私はまだ恋というものを知らなかったけれど、でも今思い返してみれば、あの時からずっと―― 「じゃあ葵だけの大事な思い出だ」 「なんかずるい」 「覚えてない円歌が悪いんでしょ」 「んー、なんか悔しい!」  ベンチで投げ出した足をバタバタとさせながら円歌は悔しがっていた。円歌の横にあるカメラを手に取って、私は立ち上がった。 「葵も撮ってみたいな」 「うん?珍しいね」  円歌に使い方を教わって、ファインダーをのぞき込む。私がしていたように円歌がシャボン玉を吹いて、その場面を撮っていく。 「……カメラ、楽しいかも」 「ほんと?」 「共通の趣味さぁ、カメラにしよっか」 「葵もカメラ始めるの?ハマったら私よりもこだわりそうだからちょっと心配だなぁ」 「あぁ値段のこと?それならたまにこうやって借りるだけで十分だよ」 「そう?ならいいけど」  何故かドヤ顔で、こちらに思いっきりピースをする円歌をカメラに収める。 「せっかく良いカメラなんだからそれっぽいポーズしてよ」 「それっぽいって何?」 「なんかさぁ、アートっぽいお洒落なの」 「えぇ?シャボン玉持って?難しくない?」  円歌は私の無茶ぶりに笑顔で応えてくれる。シャボン玉を吹いて、その中を踊るように回っている。頼んでおいて撮るのが難しくて困る。自分なりにここぞというタイミングでシャッターを適当に切ってみる。きっと良いカメラだから、一枚くらいは良く撮れていることだろう。 「葵のセンスすごくない?」 「私が被写体だからでしょ?」  ベンチに戻り、撮った写真を確認する。お互い口が減らない。シャボン玉に囲まれて、笑顔で踊る円歌は確かに被写体として完璧だと思った。これは決して惚気ではなくて事実だから。こうして写真に閉じ込めて思い出にしてしまえばもう、割れることのないシャボン玉を見て私は満足した。 「そろそろ帰ろっか」  どちらからともなく、当たり前のように手を繋ぎ、同じ場所へと帰る。 「円歌」 「んー?」  子供の頃、中々笑わない私を楽しませようと、手を繋いで歩く時には円歌は歌ったり、楽しかった出来事を話したりしながら、前後に手を揺らしてくれていた。 「シャボン玉、楽しかった……ありがと」 「うん」  かつてのことを思い出して、私もあの頃の円歌のように前後に手を揺らして帰った。シャボン玉と戯れる円歌の写真を見えばきっと、今日の事を思い出すことだろう。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加