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春(葵編)
大学3年生になり、さすがに在宅のデータ入力のバイトだけをするわけにもいかなくなってきた。IT企業のインターンに嫌々ながらも参加するようになって、散々バイトで磨いて来たOSスキルが役立った。担当してくれている会社の方には褒めてもらえることが多くて、このまま就職して欲しいなんて言葉ももらえるようになって。困ったことといえば、褒められた時に可愛らしく対応できず、ヘタクソな愛想笑いしかできないことだ。私にはパソコンに対する技術はあっても、対人関係のスキルが乏しかった。
「疲れた……辛い……」
まだ始めたばかりだというのに、インターンを終えて家に帰る度にソファに体ごと沈み込み、同じ言葉を繰り返してはため息を漏らしてしまう。このまま大学を卒業してまともに就職できるか不安になっているところだった。
「お疲れ様」
そんな私が精神的に参っていることを分かっている円歌は慣れたように私の頭を撫でて慰めてくれる。円歌がいなかったら私はもうとっくにインターンからバックレていたかもしれない。それくらい、私にとって円歌は心の支えになっていた。
「ん」
両手を広げれば多くの言葉も要らず、私が望む通り抱きしめてくれる。私より一回りは小さくて、でも頼りになる体を強く抱きしめ返す。この温もりをなくさないためにも私は、辛くたって苦手なことも乗り越えていかないといけない。
「……頑張るから」
「うん、えらい」
何を、とも言わなくてもちゃんと分かってくれている。そのまましばらく黙って抱きしめ合っていた。
「――ぐはぁー。だるい」
同じ学部で仲良くなった遼ちゃんと同じ講義を受けていた後、構内のフリースペースで一緒に課題を進めていた。
「働くのに髪染めろってさぁ、おかしくない?私のアイデンティティの一部なんですけど?存在意義の否定ですかぁ?」
遼ちゃんは派手な髪の色をしている。出会った頃は紫がかった青色だったけれど、今は鮮やかな水色で毛先はクリーム色になっている。
「遼ちゃんそんなお堅い企業受けるの?」
「いやぁ髪型自由で絞ったら、絞られ過ぎちゃって」
「あぁ」
「とりあえず経験が大事だからインターンでも受けたらってサークルの先輩に言われたんだけどさぁ、ちょっと髪派手過ぎって言われて」
「似合ってるのにね。すごく綺麗だと思うよ」
「そうだよ!葵ちゃんはよく分かってる!なんかさぁ、髪染めてるとだらしなく思われるよって言われたんだけどさぁ!こまめに美容院いってちゃんと手入れしてるわけ!超しっかりしてんだけど!」
普段ライブハウスでバイトしている遼ちゃんは髪型に関してあれこれ言われるのが中高時代の校則ぶりで、当時の嫌な思い出が蘇るらしく頭を抱えていた。私みたいに対人関係に悩む人間もいれば、こうして髪の色で悩む人がいて。たぶんどちらも就活のスタートラインにも立っていないような気がした。
「就活って面倒くさいねぇ」
「それなー」
二人して遠い目をしながらどうしようもないくらいゆっくりと目先の問題である大学の課題を進めた。
「あ、参考になりそうなのが来たよ」
「おぉ晴琉ちゃーん!」
「遼ちゃーん!」
私が仲良くなれた人は大抵晴琉とも仲良くなれる。むしろ晴琉は私よりも仲良くなる。無駄にテンションの高い二人は何故かハイタッチをしていた。
「晴琉ちゃん髪暗くしたんだね」
「一応先生目指してるからさぁ。金髪の先生なんていないじゃん?」
「へぇー。でも早くない?」
「急に暗くすんのも嫌だからちょっとずつ暗くしてんの。せめてもの抵抗でさ」
金髪だった晴琉の髪の色は少し明るめの茶色まで落ち着いていた。しかし将来を考えて嫌々髪を染めたというには何だか機嫌が良さそうだ。
「でも機嫌良さそうじゃん」
「寧音はこっちの方が好きだっていうからさぁ」
あぁなるほど、惚気か。聞かなければ良かった。
「羨ましい~!私も褒めてくれる恋人が欲しいー!」
絶賛恋人募集中の遼ちゃんは無駄にダメージを受けていた。申し訳ない。私が分かりやすい晴琉の惚気話の罠にかかってしまったばかりに。
「結局恋人の為なら頑張れるってことかぁ……」
何気なく呟いた遼ちゃんの言葉に、私は全面的に同意するしかなかった。
「――今日も頑張ったぁー」
インターンを終えていつものようにソファに沈み込む。いつもと違うのは、ネガティブな言葉を言わないように心掛けたこと。
「何か良いことでもあったの?」
私がいつもより元気でいるからか、慰めるように頭を撫でてくれる円歌の声色も、いつもより元気に感じる。
「んー?別にぃ?」
「ほんと?」
「うん……でも、なんか、もっと頑張ろうって思って」
「急にどうしたの?」
不思議そうにしている円歌に対して両手を広げる。変わらずいつもの通り円歌は私の腕の中へと収まっていく。
「晴琉が髪の色暗くしてたんだよね」
「あぁ。そうだったね……それで?」
「寧音に褒めてもらったんだってさ。それだけ」
「えぇー?何それ」
たったそれだけと言えばそれだけのことだけれど。人によっては髪の色だってアイデンティティに関わる問題で。でも、それでも恋人の為なら頑張れる人がいて。
「でも、そういうことの積み重ねなんだなって」
「ねぇどういう意味?」
「まぁとにかく、頑張れそうってこと」
「んー……よく分かんないけど、葵が元気なら何でもいいや」
私が笑顔であれば円歌も笑顔でいてくれる。逆もまた一緒。だからこそネガティブなことは言わない方が良い。もう私は円歌も含めての存在になってしまったから。
円歌とこれからも一緒にいる為にちょっとずつ乗り越えていこう。まずは人から褒められたら、素直に喜ぶところから始めてみよう。
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