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2. 近づく努力
そして翌日。その日はヒルダを招いてお茶をする約束をしていた。
ミカエル様にヒルダとの付き合いを控えろと言われたところで、それを律儀に守るつもりはなかったので、私は予定どおりにヒルダを屋敷でもてなした。
香りの良い紅茶を飲み、甘いお菓子を食べた後、ヒルダは自然な口調で私に尋ねた。
「エイラ、もしかしてミカエルのことで悩んでいるんじゃない?」
態度には出していないつもりだったのに、ヒルダには伝わってしまったらしい。
彼女の言うとおり、私は前日のミカエル様の言葉で心が折れそうになっていた。
彼との関係を改善したい。
そう思って聞いてみたのに、彼からはすげなく拒絶されてしまった。
ミカエル様は、私と距離を縮めるつもりはないということなのだろうか。
少しでも仲良くしたいと思うのは、私の我儘なのだろうか。
「ねえ、エイラ。そんなに落ち込まないで、よかったらわたくしに話してみて」
ミカエル様はもちろん、家族にも不満など言えずにずっと我慢していた私は、優しく労ってくれるヒルダに縋りたくなってしまった。
だから、今までの彼の態度や、私の気持ち、ヒルダとは関わらないように言われたことも、すべて打ち明けた。
話しながら思わず泣いてしまった私の背中をヒルダは何度も撫でてくれ、そうやってひとしきり泣いた後、私はようやく落ち着きを取り戻した。
「……ありがとう、ヒルダ。少し落ち着いたわ」
「そう、よかったわ。……それにしても、ミカエルったら酷いわ。そんな男とは絶対に別れるべきよ」
ヒルダが私の代わりに憤ってくれるのが嬉しくて、思わず笑みが浮かんだ。
「そうね。でも、家のためにも婚約破棄はできないわ。もう少し頑張ってみる」
「そう……」
ヒルダの優しさに甘えて、つい弱気になってしまったけれど、こちらから持ちかけた婚約を破棄などできるはずもないし、彼が冷たいのは顔合わせのときから分かっていたことだ。
それにまだ婚約してから3か月も経っていない。希望を捨てるには早い。
関係改善のために、他にも何かできることがあるはず。
そう心を奮い立たせる私を、ヒルダが心配そうに見つめた。
「エイラは……ミカエルのことが好きなの?」
思いがけない問いに、私はしばらく言葉が出なかった。
ミカエル様のことが好きかどうか──。
面識なんてほとんどないまま親同士が決めた婚約で、そんなこと考えたこともなかった。
外見について言えば、ミカエル様は十人の令嬢がいたら十人とも好ましいと答えるだろう、優れた容姿だ。
私ももちろん文句なんてあるはずもなく、自分には勿体無いと思っているほどだった。
けれど内面は……あれほど素っ気なくされて、好感を持てるほうがおかしいように思う。
いくら外見がよくても、ずっとあの調子では耐えられる気がしない。すでに一度、心が折れそうになった。
だから、ミカエル様のことが好きかと言われれば、そうではないのかもしれない。
(──だけど……)
まだ期待する気持ちがあったのは、きっと私がピアノを弾いているときに向けられる眼差しに、彼の心を感じたからだった。
私に全く関心がないわけではないと、そんな風に思えた。
私はためらいながらもヒルダに答えた。
「まだ分からないけれど……せっかく婚約したんだもの。好きになりたいし、彼に好きになってもらえたらいいと思っているわ」
ヒルダはわずかに驚いたように目を見開いた後、溜め息まじりに微笑んだ。
「……それなら仕方ないわね。頑張って」
◇◇◇
それから、私は努力した。
今まで自分からは必要以上に会おうとはしなかったけれど、ミカエル様と二人で会う頻度も増やし、手紙を書いたり、贈り物をしたりした。
そのおかげで、彼が甘いものは苦手なことや、読書と乗馬が趣味であることを知れた。
手紙の筆跡が意外に繊細で、言葉遣いが綺麗なことも知った。
人気の推理小説シリーズの最新刊をプレゼントしたら、お礼にと素敵な髪飾りを贈ってもらい、センスもいいことが分かった。
もしかしたら本人が選んだものではなかったかもしれないけれど、次に会うときに髪飾りをつけてみたら、ちゃんと気付いてくれて「似合っている」と、やっぱり一言だけだったけれど褒めてくれた。
少しずつ、目が合うことも増えてきたように感じていた。
そんなある日、私はミカエル様の屋敷に招かれてお茶を頂いていた。
「あ、これ、前に私が気になると言っていたお店のお菓子ですね」
「……ああ、たまたま近くに寄ったから買ってみた」
「ありがとうございます。…………美味しいです」
「それはよかった」
ミカエル様のお屋敷に招待されることも珍しいのに、その日は私が食べたいと思っていたお菓子まで用意されていて、私は少し浮かれてしまっていた。
努力の甲斐あって、彼もだんだんと私を受け入れようとしてくれているのではないか、一歩ずつでも距離を縮められているのではないか。そう思うと、少し欲が出てきた。
(今日なら、もうちょっと彼に近づけるんじゃないかしら)
もう少し、彼の気を引きたい。
その眼差しを、もう少し長く私に向けてもらいたい。
私は窓辺に置かれていたピアノをちらりと見た。
飴色の木目が美しいグランドピアノで、どこか懐かしさを感じる。弾き心地もよさそうだ。
あのピアノでミカエル様のお好きな曲を弾いたら、喜んでもらえるかもしれない。
今日は離れた場所ではなくて、もっと近くで聴いていただこう。
演奏の途中で目配せをするのは、少しやりすぎだろうか。
そんなことを考えながら、ピアノを演奏してもよいか尋ねようとしたそのとき。
ふいにノックの音が聞こえ、扉の向こうから愛らしい声が聞こえてきた。
「お邪魔してごめんなさい。今日、エイラが来てるんでしょう? 三人でお話したくて来ちゃったの」
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