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5月、野口 一正(20)は同じ大学に通う佐々木 実紗(20)と共に登山道入口にたたずんでいた。
野口としてはこの状況に今更ではあるが、やや困惑していた。
「山、登ろう」
事の始まりは1週間前、野口が大学の食堂でカツカレーを口にする寸前に、そう初対面の佐々木から声をかけられた事から始まる。
初対面ではあったが、存在を知らなかった訳ではなかった。
一ヶ月程前から気にはなっていた、毎日、頻繁に野口の視界に存在していたからだ。
講義の時も、食堂でも。
ただそれだけにも関わらず、誘いに応じたのは、同学年の年配の友人が一緒に同行する話だったからだ。
野口と佐々木の共通の友人、友人と言うには祖父母程も年齢は離れてはいるが、信用出来る人物がついて来る事がこの登山を決めた全てだったのだが。
「白井さん、やっぱり来られないみたいです」
野口はスマホのビデオ通話を切りながら佐々木を見た。
「うん、メールあったからね」
佐々木は早く登山したそうに柔軟体操しながら答えた。
「白井さん、何か顔、緊張してる感じなんだよな……」
年配の友人、白井の様子のおかしさに不安げな野口を置いて、佐々木はさっさと登山道を歩きだした。
「……」
野口は地面に預けていたリュックを背負う。
佐々木の後を野口は小走りで追いかけた。
佐々木は170cm近い身長に、肩甲骨迄伸びた黒髪、細身、容姿は俗に言う美人の部類に入る人物だ。
野口としては、そんな事に惑わされる事のない、臆病さと慎重さを持っていると自負していたが、初対面の佐々木の誘いに乗った現状に自信を失いつつあった。
何かハメられている違和感を感じた野口は、
前方3m先を歩く佐々木を野口は注意深く観察し始めた。
佐々木は、登山道入口からずっと急な坂道の続く山道をサクサクと歩いて行く。
表情は読み取れない。
道の両側は木々に囲まれ、見通しは利かないのにキョロキョロと周りを見回す佐々木。
「何かいます?」
「何も」
「……」
『いい天気ですね』、『そうですね』的な展開から、それ以上の会話を続けられない野口は頭を抱えた。
「口下手か……」
2人の間にそれ以上の会話はなく、暫くの間無言で歩き続けた。
野口は何とか会話を行おうと試みたが、登り始めて40分、大した会話はできなかった。
景色は相変わらず木々に囲まれ見通しのきかない景色に、急な登り坂。
すれ違う登山者はいなかった。
「ちょっと休憩しません?」
佐々木に置いて行かれそうな野口は汗を滲ませ訴えた。
疲労の気配のない佐々木はスマホで現在地を確認し始める。
「この先に開けた場所があるけど、そこ迄頑張れる?」
「解りました」
野口は強がりを口にしていた。
本当は1ミリたりとも足を上げたくない気持ちで一杯の野口は、太ももに手を添えながら歩く。
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