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ヒーロー登場
その人は、崖っぷちのピンチに陥った仲間たちの前に颯爽と現れた。
『ピッチャーの交代をお知らせします。金森くんに代わって、柾木くん。背番号11、柾木くん』
地区大会決勝戦、11回裏。四方中学校は、好投していた先発投手が突然打ち込まれ、あっという間にノーアウト満塁。3点あったリードは、1点差にまで縮まった。肩で息をする瀕死のピッチャーとグラブをポンと交わすと、マウンドにすっくと立った背中が大きく見えた。泥だらけの選手たちの中、まだ白いユニフォームが眩しくて。
柾木……あの人だ。
僕の胸は、ドクドクと高鳴った。兄ちゃんが入院中の病院に、一度だけ、チームメイトとお見舞いに来てくれた。
「今出て行った、背の高い方が柾木だよ。アイツとなら、お前に全国大会を見せてやれると思ったんだけどなぁ……」
彼らと入れ違いで病室に入って来た僕に、ベッドの上の兄ちゃんは悔しそうに呟いた。
「そうだ。奏風、アイツに渡して来てくれないか」
「えっ、僕?」
「急げ、まだこの階にいるはずだから!」
「えっ、あっ、うんっ」
兄ちゃんがサイドテーブルの引き出しから取り出したモノを握って、廊下に飛び出す。大きな銀色の鈴が掌の中でリンと鳴る。これは、これって……僕が、兄ちゃんのために買ってきた……。
「あ……あのっ!」
中学生にしては大柄な男子が2人、エレベーターを待っていた。僕の声に驚いて、揃って振り返る。
「ぼ、僕、簑嶋の弟です。兄ちゃんが、柾木さんに渡して欲しいって、これ!」
2人のうち、より背の高い方に向けて、勢いよく掌を差し出した。彼の掌の上で再びリンと涼やかな音がする。受け取ってくれた……けど。
「兄ちゃんの分まで、頑張ってくださいっ!」
涙が込み上げてきて、僕は大きく一礼すると、踵を返して早足で戻る。病室にも入れなくて、俯いたまま廊下の端っこまで進んで、階段をグルグル上った。息が切れて、足が止まったところで座り込む。もう視界もグチャグチャだ。
柾木さんに手渡したのは、先月僕が地元の神社で買ってきた「必勝守」だった。ずっと兄ちゃんの鞄に付いていたのに。あれを兄ちゃんは自ら手放した。他人に託したと言うことは、もう……分かっていたけれど、もう……。
「ストラィーク!」
わあああっと歓声が上がる。
現実に引き戻されれば、試合は満塁のままツーアウトまで局面が変わっていた。
「スゲぇな、あの11番」
「ああ。130km後半は出てるよな。ストレート、エグいわ」
「あんなの打てんだろ」
隣で観戦している大人たちが驚嘆している。兄ちゃんが立つはずだったマウンドを背負う、11番。あの人は、兄ちゃんの想いを引き継いでくれている。
「ストライーークッ!!」
主審の右手が高々と上がり、試合終了のサイレンが鳴り響く。その途端、ドンと爆発したような大歓声がスタンドに広がった。応援団以外にも、多くの人が立ち上がって拍手している。その人垣の隙間から、マウンド上のピッチャーを囲む歓喜の輪が見えた。
「柾木、さん……」
手の震えが止まらない。全身が跳ねているんじゃないかってくらい鼓動が早くて、胸が、顔が熱くて。
その後、四方中学校は、県大会の初戦で敗退してしまった。それでも、この試合以降、「柾木将真」という名前は度々地元紙のスポーツ面を飾るようになった。
そして――僕たちから遠いところで全国大会が始まる頃、僕の家族は1つの転機を迎えていた。
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