呪縛からの解放

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呪縛からの解放

 新しい住まいは、N県の母さんの両親――祖父母の家の近くに建つ、古いアパートの一室だった。引っ越したとはいえ、兄ちゃんはN市内の病院に入院していたから、しばらくは母さんと2人きりの生活になった。  路上を雪が覆う頃、兄ちゃんは退院した。リハビリを続けながら受験勉強にも励み、N市内の公立高校に合格した。あんなに大変な怪我を負ったのに、本当に凄い。やっぱり兄ちゃんは僕の誇りだ。 「奏風、ごめんな」  合格祝いのご馳走をレストランで食べた夜。母さんが少し離れた立体駐車場まで車を取りに行くと、兄ちゃんは突然、僕に頭を下げた。さっきまでの楽しい雰囲気が冬の空気にスッと溶けた。 「えっ? なんのこと?」 「ごめん」 「ちょっと……止めてよ、どうしたって言うのさ?」  肩を押して顔を上げさせる。兄ちゃんは真顔だ。 「母さんと父さんが離婚したの……俺のせいなんだ」 「――どういうこと」 「俺の怪我がなかったら、皆でロスに行くはずだった」 「そんな……だって、事故は兄ちゃんのせいじゃないじゃんか」 「母さんは、こっちで治療するって言い張って……父さんも譲らなくて……」  それが不仲の決定打になったとしても、兄ちゃんが責任を感じるのはおかしい。そう反論しようとしたけれど、僕の両肩を掴んで見つめ返す兄ちゃんが泣きそうな瞳をしていたから、息と一緒に言葉が詰まる。 「俺は、お前から父さんも友達も野球も取り上げてしまった」 「父さんにも、友達にも、そのうち会いに行けるよ。野球は……」  僕が野球を好きになったのは、兄ちゃんがいたから。野球をしている兄ちゃんが、格好良くて大好きだったから。だけど――。 「奏風、俺は野球から離れるけれど、お前は俺に遠慮しなくても良いんだぞ」  どきん、と身体の奥が震えた。 「前に、中学校に行ったら、野球部のマネージャーをしたいって言ってたよな?」  兄ちゃんの応援で観戦するうちに、野球というスポーツそのものが楽しくて、大好きになっていたのは本当のことだ。僕自身はプレイ出来ないけれど、仲間たちと一緒に一喜一憂、精一杯戦ってみたい。それには、選手を支えるマネージャーが最適だと思ったんだ。 「ずっと俺のこと応援してくれて、ありがとうな。今度は、俺が応援するから。好きなことをして欲しいんだ」 「……うん。ありがと、兄ちゃん」  あの日、僕の中の呪縛を解いてくれたから……中学生になった僕は、迷わずに野球部のドアを叩けた。体力のない僕に、マネージャーなんて無理だって、母さんは反対したけれど、そのときも兄ちゃんが一緒に説得してくれた。実際、マネージャーの仕事はきつかった。それでも一生懸命頑張れば、みんなが喜んでくれることが嬉しくて。不思議なことに、部活を始めてからの僕は、簡単に体調を崩したり熱を出さなくなった。チームに迷惑をかけちゃいけないという緊張感と責任感が、僕に力をくれたのかもしれない。
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