たとえ難攻不落でも

1/1
前へ
/7ページ
次へ

たとえ難攻不落でも

「奏風ぁ、屋内練習場の見回りしてくるから、モップかけておいてー」 「はぁい」  半月も経つと、仕事のルーティンは大体分かってきた。全体練習が終わると道具を片付けて、部室の掃除。床にモップをかけたら終了だ。屋内練習場で居残り自主練する人もいるけれど、マネージャーに付き合う義務はない。誰が残っているのかだけ部長に報告すれば帰宅出来る。 「お疲れー。お、山之辺1人か?」 「お疲れ様です! 京田先輩、自主練してたんですか?」 「まぁな」  ジャージ姿で現れた京田先輩は、まっすぐ自分のロッカーに向かうと着替え始める。僕は彼に背を向けて、モップを動かす。 「なぁ、山之辺。やっぱり、どこかで会ったことないか? 俺、顔と名前覚えるの得意なんだけどなぁ……」 「あの、他の人には言わないでくれますか」 「ん? ああ」 「僕、蓑嶋志弥の弟です。四方中の。兄が入院したとき、柾木先輩とお見舞いに来てくれましたよね」 「あー!! そうか、蓑嶋先輩の!」 「親が離婚して、先月再婚したんです。それで『山之辺』になりました」  兄ちゃんの弟だと知られたら、ヘンに気を遣われるかもしれない。僕は、“蓑嶋先輩の弟”じゃなく、ただの“後輩”として接して欲しいから。 「色々あったんだな、山之辺」  不意に、ポンと大きな手が肩に触れ、びっくりして振り向くと、制服に着替えた京田先輩がすぐ後ろにいた。 「もうひとつ聞くが、お前が初雁商に来たのは、偶然なのか?」  ジッと顔を覗き込まれて、思わず目を逸らした。 「あ、の……」  言ってしまっていいのだろうか。僕の正体を知った、この人に。 「あの、僕っ。柾木先輩に会いたくて! 柾木先輩の近くで、野球がしたかったんですっ」  ああ……気持ち悪いとか思われたら、どうしよう。柾木先輩の親友なのに。 「やっぱりなぁ……」 「え?」 「だって、お前、将真のこと、いっつも見てるもんな」 「えっ」 「アイツの前だと、真っ赤になるし」 「え、えっ?」 「多分、気づいてないのは、将真くらいだぞ」 「えええっ!」 「アイツ……鈍いからなぁ」  苦笑いすると、京田先輩は僕の両肩をポンポンと叩く。これ、励まされている? 「俺たち3年は、夏の大会が終わったら引退だ。難攻不落の険しさだけど、まぁ……短い間だから、後悔するなよ」  あ、ダメだ。なんだか凄く恥ずかしい。憧れだと思っていたけれど、この気持ちは、どうやら少し違うらしい。 「おい、信之介! まだ着替え終わんねぇのか?」  突然ガラリと部室のドアが開いて、あろうことか柾木先輩が現れた。 「わああぁっ……!?」 「あ、山之辺っ!」 「ん? どうしたんだ?」  驚きすぎて、頭が真っ白になった。タタタン、タタタン、誰かが胸の奥で軽妙なタップダンスを踊っている。タタタン、タタタン……ちょっと切ないのに甘くて、心地良いリズム。そうか、そうなんだ。この気持ちは――。  難攻不落? 確かにそうかも。だけど、もう僕はずっと前から登り始めていた。多分、三合目くらい。もう今更引き返せないよ。 【了】
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加